そのせいか著者もカントの意向に沿うかのように、「虚栄心について」の章では、だれもが自分には無いと信じたい「嫉妬」という感情に焦点を当てる。大学教授とその同僚のたとえ話により、羨望と嫉妬の違いや虚栄心の働きを嫌になるほどわかりやすく説明した部分には、苦笑しつつもなずくしかない。このように本書では、いわゆる「親切」や「友情」の欺瞞性や「男性にとっての(自らの)容貌」といった、普段は暗黙の了解のうちに語らずに済ませているテーマに、光を当ててしまう場面が頻繁に見られ、いっそ痛快ですらある。
著者はカントへの共感を決して全面には出さず、冷静に筆を進めている。しかし読んでいくうちに、他者との関係性を時には冷酷に突き詰めたカントと、後に自分と周囲の環境との軋轢を露悪的なまでに大胆に描写することとなる著者の姿とが、重なって見えてくる。その意味で、本書は新観点からのカント論というだけではなく、著者の一連の評論やエッセイの原点とも言えよう。(工藤 渉)