後悔を鍵とした自由論
★★★★☆
漫然と読むと、何が問題となっているのかよくわからず、著者のエッセイ寄りの筆に引きずられて、なんとなくおもしろかったいう感想で終わってしまうかもしれないが、枝葉を取り除くと本書の本質は「後悔」をキーワードとした「自由論」。その関心が強い人には資するところがあると思う。
人は「今Aをすることもしないこともできる」ことを自由とみなすことが多いが、選択肢が均衡しているのになぜ結局Aをする(しない)ように選んだのか。「自由意志」による内的強制?これでは説明できない。「自由意志」の実態は心理的物理的な自然因果(外的強制)だからだ。じゃあ自由はどこに?著者によれば自由は「あのときこうすることもできたのに」という、広い意味での後悔に根をもち、責任追及と連動してでてくるもの。飲酒運転中に人を轢いた場合「君は飲酒運転した『から』人を轢いた」とされる。実際は真の原因が飲酒かどうかはわからないが、刑罰の要請から事実が制度的に構成されるわけだ。「飲酒運転しないこともできたでしょう?自由だったでしょう?」と、彼が自由であったことが責任を帰すために重要となる。このように自由は今の心の状態というより、過去をふりかえって後悔のうちに登場するもの。ところが「あのときこうもできた」を、現在に適用して「今ああもこうもできる」と考えるから、自由についてうまく説明ができなくなると著者は見ている。
無理して書くと論旨はこんな感じだが、哲学は過程であり、要約できるわけがない。レビュアの下手なまとめより実際の著作にあたられたい。
詩情あふれる中島自由論の名著
★★★★★
中島哲学において自由論は時間論と並んで重要な位置を占める。『時間と自由』(講談社学術文庫)などのアカデミックな著作にも見られるとおり、その議論は透徹しており極めてレベルが高い。本書はそんな中島の自由論を「後悔」という感情をキーワードにして分かりやすく解説した哲学入門書である。
われわれはみな過去における自分の行為を後悔する(「後悔という感情がなかったならば過去は形成されないだろう」とまで中島は言っている)。いくら後悔したところで、今さらどうにもならないことは分かりきっているにもかかわらず。なぜか。そうしないこともできたはずだからだ。すなわち自分は過去において自由であったはずだからだ。このように自由とはまず過去形である。しかしその自由とは、責任追及の欲求に基づくフィクションに過ぎないのではないだろうか――。
「感情に基づいて世界は形成される」というコンセプトは中島哲学を貫いているが、それが最もよくあらわれているのが本書であろう。豊富な哲学的知識とエッセイストとしての巧みな話術が融合した、詩情あふれる魅力的な哲学入門書に仕上がっている。毒舌で名を馳せている中島の「優しさ」が珍しく感じられる名著といえよう。文庫化に伴いより多くの読者に読まれることを望む。
「後悔する」とはいかなることか? そして「哲学する」とは?
★★★★★
「あのセンター試験の時あの問題で、迷った末に2番でなく3番をマークしていれば東大に合格していたのに」と、東大に僅か0.3点差で不合格となった受験生は後悔するかもしれません。いえ、センター試験の全問題で、あと一問でも合っていれば、彼は東大に合格したのです(実際に1点足らずの差で不合格になる受験生は少なくありません)。
彼がそう後悔する時、彼は「あの時そうすることもできたはずだ」という信念を持っていますが、なにゆえ彼は「そうすることもできたはずだ」と問うのでしょうか。彼は恐らく「悩んだ末に2番を選んだ」と言うでしょうが、実際のところ彼の中がどうなっていたのか知ることはできない。彼は「自由意志」によって2番を選んだ、と言った所で、その「自由意志」がどのようなものであるのかは、「経験的レベルでは原理的に確認しえない」のです。(p25)するとこの自由意志もうさんくさい……
「われわれはとくに重要な決断をするとき、状況にまったく左右されない自由意志があったと想定したくなりますが、それは「あとから」のこしらえものであって、事実そのときそのような自由意志が作動していたどうかはけっしてわからない。」(p104)
彼はあの時「自由意志」をもって2番を選んだと(身悶えながら)言う。他の人もそれを認め、「仕方が無い」「運命さ」と慰める。いや彼も「運命」と言うかも知れない(おそらく「偶然」とは言わないでしょうね)。しかし本当のところは誰にもわからない。「運命」という言葉は、後からのその出来事の解釈によって生じるものです。「自由意志」などちゃちなものではない、もっと大きな「なにか」が働いていたのではないか。そう思うことによっていくらかでも気分を楽にしたいが故の「運命」なのです。
「運命にすがりつく人は、すべてが決定されているという明らかな確信のもとにあるのではなく、われわれには不可知の意志的なものがすべてを突き動かしているという信念をもつことにおいて、どうにか苦しみから逃れたいという決定論者にすぎない。」(p148-149)
後悔、偶然、運命、自責。身近な出来事を、身近な例を引きながら、分析し、哲学してゆく中島さんらしい本です。
スッキリできなくて「スッキリした!」
★★★★★
中島義道さんの本は、すごく好きで、3冊目くらいですかね。その中でも、ダントツに、本書は、良かったです。
「後悔とは、なんだろう?人は、なぜ後悔するんだろう?」という問いから、ドンドン深く掘り下げていく本書。途中、カントやニーチェの難しい引用が出てきて、読んだ事のない僕は「ん?わから〜ん!」って思ってしまうんですが、「分りやすく、かつ、深いことを書こう」と決心されていたのか、難しい引用は、わずかで、具体例(元が攻めてきた時の台風(神風)、森鴎外の小説「雁」においての、もし、夕食に「鯖の味噌煮」が出ていなければ、一対の男女の人生が変わっていたのではないかなど)が多いので、高校生ぐらいから、読めると思います。
「自分の身に起こる様々なこと(理不尽など)を、「運命」と誤魔化すことも無く、「すべて偶然である」とニーチェ的に受け入れてしまうのでもなく、「わからない」と(笑)。変に、わかった気にならず、わからないものは、わからなくていいし、逃げるんじゃなくて、「真実」に興味持って、真正面から現実見てみない?」というスタイルに、共感できる方は、本書を読んで、「答えは、無いけど、そのモヤモヤ感が・・・いい(笑)!」と思ってくれるはずです☆
今回も中島さんの筆がうなる
★★★★★
道徳の系譜シリーズとして書かれた本書。今回は後悔と自責について中島さんらしく考察しています。豊富な文献考証により筆もさえ渡っています。読む度に色々と考えさせてくれます。読む人によっては好き嫌いがハッキリするかも知れませんが、好きな人はハマってしまう本だと思います。