ただ、訳がところどころアヤシイ気がするので、原書を
手元において必要に応じて見ながら読む方が安心かもしれない。
例えばp.306、コペルニクスへの教会からの反対に関して、
まずカトリック教会からの批判を取り上げてから、
「プロテスタントの公式的反対の厳格さは、実際には、
カトリックのそれよりもはるかに理解が容易である。
すなわちプロテスタントの反対は、教派間での聖霊についての
より基本的な論争とかかわりがあるようだ」と述べる
一節があるが、ここの「教派間での聖霊についてのより
基本的な論争」の原文はa more fundamental controversy
which arouse in the split between the Churchesで、これは
「教会の分裂において生じたより基本的な論争」ということだと思う
(平たくいえばコペルニクスはカトリックだというだけで
すでにプロテスタントの側には叩く理由があったのだから
批判がより辛辣になるのも当然だ、ということでしょう)。
これは明らかにsplitをspiritと勘違いしたまま無理に
意味を通そうとしていて、ちょっと不安になる。
揚げ足かもしれないけど、指摘してみます
 パラダイム論は、そもそも科学の歴史をこうした風に通覧する際に生じる違和感を脱出する為に考え出されたと云う単純な事実は、ポパーやラカトシュとの論争と通じて屡々軽視されてしまったことですが、科学史と云うものを考え直し始めた際の初心が何処にあったのか、と云うことを確認する上で、本書は実に恰好の一冊です。
 これから科学哲学を学ぼうと云う方や、或いは一人歩きを始めてしまったパラダイム論が重箱の隅をつつく様な事態に陥っているのではないか、と感じ始めた方にオススメです。