芭蕉の爆弾
★★★★★
嵐山光三郎『悪党芭蕉』を読み、「笈の小文」が気になって読んだ。
旅人と我名よばれん初しぐれ
芭蕉のこの句に対するイメージは変わった。〈芭蕉〉は〈芭蕉〉としての自分を忘れ、ただの〈旅人〉となろうとしていた、風流の人・風雅の人・風狂の人。そんな漠然としたイメージを抱いていた。でも、……
野ざらしを心に風のしむ身哉
百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。
さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹さはぎて、
などの句や文章は、このイメージを裏書きする。しかし、それだけではなかった。
寒けれど二人寐る夜ぞ頼もしき
風流も、風雅も、風狂も、吹き飛んでしまう、爆弾のような句だ。
霧しぐれ冨士をみぬ日ぞ面白き
など、俗な富士に反感を抱いた太宰を思わせなくもない。
多面体を思わせる、芭蕉の正体は、いったい、どこにあるのか? 芭蕉の魅力に、とりつかれそうだ。