神成氏がすごい!
★★★★★
社会学者・宮台真司氏と、ITアーキテクト神成淳司氏の対談を本に直したもの。
本書のメインテーマはタイトル通り、「計算不可能性をいかに計算的に設計するか」ということ。
IT技術の発達によって便利になったのは良いが、なんでもかんでも計算可能・予測可能な世界になってしまうとそれと引換えに「感動」も失われてしまう。予測可能なのだから。
そうならないために、ITアーキテクトは「計算不可能」なシステムをデザインすることを目指さなければいけないというわけだ。
本書を読み進めていく間何が一番面白かったのかというと、神成氏の優秀っぷりだ。
ITアーキテクトでありながら、人文科学系の話にもついていって良く勉強してるなあと感心したし、さらにそれを自分の専門分野で語り直すこともできる。
宮台氏もその優秀っぷりを絶賛しているし、ほんと惚れ惚れするぐらいの切れ者である。正直ファンになった(笑)
ITとこれからの現実社会の関係について興味がある方はどこをとっても面白い話ばかりなのではないだろうか。素晴らしい一冊である。
悪い設計から良い製品は生まれないと言いますが・・・
★★★★☆
神成淳二と宮台真司の対談集です。
日々進歩するコンピューテーションが社会システム、はたまた人間の考え方にどのように影響を与えるかについて考察しております。
近い将来、計算不可能性が価値を生む、新しい時代の予感がします。
確かにしっかりしたアーキテクトは必要
★★★★★
パッチワーク王国日本、つまり、何でもかんでも新しいものを取り入れて、
現実社会に適当に張り合わせていく手法で生きてきている戦後の日本は、
そろそろ考え直さないといけない。
本書の言うように、やはり哲学なのだろう。でも、その依拠するところをどこに求めるか。
これが問題だ。キリスト教か仏教か、はたまた儒教それとも武士道…。
解答を出さないといけない、という刺激を受けた。
やはり根本的に考えないとダメなんだね
★★★★★
タイトル的にはとっつきにくい感じ。でも、中身はよくわかった。
日本って、ホント、哲学ないんだね。いつもパッチワークのようなつぎはぎでやってるんだね。
ITだって同じ。便利さだけが追求されてるって! そのとおりかもしれない。猿真似と猿知恵からそろそろ脱却しないといけないんだろう。
その意味では、宮台さんと神成さんにこれからも期待したい。
噛み合わない議論から得られるもの
★★★★☆
二人の「全体性」をめぐる議論はかみ合わない.宮台が「全体」に言及するとき,神成氏は「部分」を答える.神成氏の応答は常に宮台の言説の「部分」に対応している.例えば宮台の「オリジネーター・サクセサー問題」は,神成氏によって「オーナー社長とサラリーマン社長」という,より安全なフレームに回収されている.これでは「新しく始めること」が議論から抜け落ちてしまう.
議論の後半では,宮台の全体性への言及を神成氏が部分的に受けたものを,宮台が引き取り,これを全体性への言及へと転ずる,といういわば「再帰的」なコミュニケーションが繰り返されている.宮台はこの一連のコミュニケーションを通じて,IT技術者には,全体性への視座が存在しないことを摘抉して見せている.神成氏が,システムの全体に目配りをする「アーキテクト」のうち最も優れた者(天才)であるにも関わらず,自らの視座の不在に最後まで気がついていないことが,よりこれを際だたせている.
神成氏が(ネタとして)自覚的に振る舞っているかは微妙だが,我々IT 技術者の視座の不足を的確に指摘していること,また,この視座からは豊富な問題系が得られそうなことから,特に IT技術者には読んで欲しい一冊となっている.