英霊や遺族の思ひを風化させてはいけない
★★★★★
靖國神社社務所発行の『靖國』に掲載されてゐた著者の論考に感動し,本書を購入した。高速バスの中で読み始めたのだが,すぐにのめり込み,ずッと読んでいたいと感じた。書名のとほり,著者が取材した英霊の遺族の歩みが記されてゐる。著者は遺族の方々と距離を保ち,淡々とした執筆に努めてゐるやうに見受けられた。しかし,遺族の方々の戦中の記憶や戦後の生活には様々なドラマがあり,何度も涙がこぼれた。英霊や遺族の思ひを風化させたくないと強く感じさせる本である。
読みすすむうちに違和感を覚えた
★★☆☆☆
大切な息子、夫、恋人、兄弟を特攻で失った方々、生き残った隊員達にとって特攻は
「歴史」などではなくいつまでも「今」なのだと思い、涙なしには読めなかった。
しかし、読み進むにつれ作者の主義主張のために「特攻」を利用し、時には歴史を
捻じ曲げようとする態度が気になり始めた。そういうやり口は作者の敵視する「平和
教育」派の人たちの常套手段だったはず。悪いところだけ真似している。「国のために
死ねるか」という命題に続けていってる分、むしろこっちの方が悪質とも言える。
職業軍人、少年飛行兵を取り上げて学徒兵を無視し続けるのも意図的と思える。
現代の「写し鏡」としての特攻
★★★★★
太平洋戦争末期の航空特攻作戦を、戦後生まれのジャーナリストが真摯な取材で跡づけていった2005年刊の書籍の文庫版です。
人は何によって生きるか。トルストイはかつてこう問いかけ、その答えを「信仰」に求めました。では、人は何によって死ねるか。有事の際、国のために死ねるか。
本書の紙背から繰り返し浮かび上がるのは、人は命令などでは死ねないという事実です。人は「理」では死ねない。人は「情」のためにのみ死ねる。仲間、家族、故郷への情愛のためにのみ、わが身を捧げることができる。その死を生かすことができる。
本書では、60余年前に自ら「死」を選ぶことで己れの「生」を最大限に生かした若き特攻隊員たちの思いが、彼らの妻や子、親、婚約者ら残された者たちの「戦後」を通して鮮やかに描き出されています。
併せて読むべき本書の続編で、海の特攻作戦に取材した『回天の群像』(角川学芸出版)の中で、著者はこう述べていました。
「特攻隊を考えるということは、『人間』を考えることにつながる」
「特攻隊を追跡することで、現代日本を見つめ直せるのではないか」
こうした問題意識は、著者が新聞記者として現代の日本社会を見つめる中で培われたもののようです。日本人はなぜ、ここまで劣化してしまったのか。その疑問と解決策を求めてたどりついた先が、60余年前の「特攻」だったとは、いったいどういうことなのでしょうか。
角川の文庫本は紙質のせいか軽く持ち運びによい上、自らも特攻隊となる運命だったことで知られる作家、神坂次郎氏の真情あふれる解説が付されています。
涙・涙・涙の感動作でした・・・
★★★★★
特攻隊員と残された家族に焦点をあて、その波乱の人生と苦悩と悲しみが綴られた一書です。妻を持つ青年士官から、まだあどけなさの残る十代の少年航空兵まで陸軍振武隊4名のエピソードがあり、著者の随筆で締めくくる。
どれを読んでも共通して感じるのは、隊員と遺族の崇高なまでの澄み切った心ですね。隊員の家族に宛てた手紙なども多数掲載されておりますが、およそ16や17歳の少年の文章とは思えぬ自立した物言いに愕然とします。軍国主義の教育体制とはいえ、自己を律し、倫理を重んじる精神、芯の強さや愛国心は現代の日本人では到底到達できない高き所にある。人間として一段も二段も上であったのは間違いないところでしょう。
特攻に関する出版物は相当な数にのぼりますが、本書は隊員もさることながら、残された遺族に多くの比重を持たせている点が特徴といえます。私は通勤電車を読書時間に当てているのですが、涙が溢れそうになる場面が何度もあり、困ってしまいました。是非ともおすすめしたい一書です。