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海の仙人 (新潮文庫)

価格: ¥380
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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感情が消えない ★★★★★
文庫化された絲山作品を固め読みして、今作がその最後の一冊(もうじき(9月30日)『ばかもの』が文庫になるので次はそれを読むつもりです)。

これはいい。ここまで読んだ中でベストだった。
「ファンタジーがやって来たのは春の終わりだった。」と、いきなり、浮世離れした文から物語が始まります。ファンタジーのその飄々としたキャラクターに、徐々に話に引き込まれて行きました。

河野の、片桐の、中村の寂しさ、孤独が静かに漂っている。一つの大きな喪失を通して、河野の孤独は深まっていく。
解説で触れられている「性の回避」のほかに顕著な本作の特徴として、時間経過の描写があげられると思います。すいすいと、泳ぐように時が過ぎて行く。特に、「喪失」の後はその「速度」がさらに上がっていく。自然、表現もどんどんさらさらとしたものになっていき、それと反比例するように物語に内在する「寂しさ」は霧散せず深みを増していきます。

物語の最後、もうその「寂しさ」は表には現れない。しかしそれは絶望ではなく、たしかに血の通った「寂しさ」なのであると思いました。
傷ついた大人達へ ★★★★★
 好きになる、ということは相手をまるごと受け入れることなのか?
 絲山作品にはよく性的不能の男性が登場するが、本作品の場合は非常にやりきれない。
 
 カッツオの前に突然現れた、孤独と救いを語る出来損ないの神「ファンタジー」。
 世の中を避けて生きる、過去にがんじがらめのカッツオ。
 愛されているとは感じつつも淋しさを抱いたまま命尽きる、かりんの強さ。
 いつかカッツオの気持ちが自分に向くのでは?と傷ついていることに気付かずに片思いを続ける片桐。
 そんな片桐を見守り続ける澤田。
 
 重いエピソードを抱えた人物達だが、その語り口は激しいものではなく、静かに淡々と進む。
 それがかえって、涙腺を窮する。
 どれも優しくて、そして切ない。
 お洒落で軽く読める印象をうけるが、実は鋭く深い。

 最後に光まで失うカッツオが手に入れたものは絶望ではなく、ファンタジーが現れる前のかつて望んでいた平穏な日々であることを願う。

 
描写は圧巻、ただラストが少し残念 ★★★☆☆
福井県敦賀市を舞台にした作品。

描写に長けていて、現実世界の乾いた孤独感が見事に表現されています。
言い回しも見事で、飾らない文体が読みやすく好感が持てます。
(車が頻繁に出てくるのも絲山さんらしくて良いと思います。)
私自身は元同僚の女性のサバサバしたキャラクターに惹かれましたが、登場人物全員の個性がよく出ています。

ただ、ラストの展開は慌てて締めくくったような感があり、<3年後><8年後>と年月の経過が早すぎるし、文章が説明っぽいです。ここに冒頭部分の丁寧な描写が欲しいところです。
最後までちゃんと書き終えることが出来たら、きっと今より物凄い作品になっていただろうな…と思うと少し残念な気がします。
性、そして家族から遠く離れて ★★★★☆
絲山秋子の小説ははじめてだが、語の使い方、展開のもっていき方、どれをとってもうまいなぁーと唸らされてしまう。突如として現れる、「ファンタジー」という名の得体の知れない神様(?)の存在も、勝男のどちらかと言えば地味な心象風景にピリッと効いたスパイスの効能を醸している。

解説で福田和也が書くとおり、この小説の根幹にあるものの一つは、性的なものからの逃避である。しかし、それともうひとつ忘れてはならないのは、その逃避が性のその向こうに地続きになっている「家族からの逃避」でもある、ということだ。性から逃れなければ、人は不可避的に家族という牢獄を形成していく。勝男がかつて苦しめられたのは、その牢獄であるし、だからこそ彼は姉を、実家を自分から遠ざけ、かりんの真の意味では受け入れることができなかった。

家族という牢獄(ドゥルージアンならそれを「エディプス三角形」と呼ぶだろう)を超え出ることは、人の倫理的な振る舞いなのかも知れない。しかし、勝男は家族を正統な仕方で経ていないが故に、未だ子供なのである(偶発的な経済的潤沢が、彼を子供のままでいることを許している)。通俗的な精神分析的評論になってしまうが、ラストの主人公の身に降りかかる激烈な、そして不自然な展開は、どうしてもエディプス的なものを感じざるをえない。勝男は去勢を経たからこそ、また新たに一歩を踏み出せたのかもしれない。
乳がん専門医として一言。 ★★★★★
個人的には、絲山秋子の最高傑作だと思う。
他者との過剰な交わりを避けながら、誇り高く生きるもののところに現れる「ファンタジー」。

「他者に甘えない、もたれかかることのない個人は、いかにして祝福されるのか」という福田和也氏の解説に、この作品の主題と魅力がすべて言い尽くされていると感じるので、個人的にこれ以上うまく語れるようなことはない。

ただ、作中の人物の病気について、ひとこと。

私は、消化器癌、乳癌の専門医(外科)なのだが、「小さな乳がんが見つかって、まずは抗がん剤だけで治療を始めた」という経過は、あまりに典型的でなさすぎると思う。
一般に、小さな乳がんが見つかったら、まずは乳房温存手術(乳房を全部切り取るのではなく、部分的に切除し、乳房の形もあまり変わらないように形成する)を行い、その後に放射線なり抗がん剤治療を追加で行う、というのが常識的治療だろう。
最初に見つかった時点では、手遅れのがんではない(ですよね?)のであるなら、最初から抗がん剤を選択する必要はないし、仕事が忙しくて治療が滞った、というのも、ちょっとなあ、という感じ。

まあ、だからといって、この作品の魅力が半減するわけではないが。