文化大革命を題材にした数少ないドキュメンタリー
★★★★★
中国の文化大革命を題材にしたドキュメンタリーを日本人の監督が撮ったという珍しい作品。
毛沢東が、都市の若者の再教育のために行った「下放政策」により、北京から、600キロほど内地にある延安という何もない農村に送られた若者たち。恋愛を禁じられたなかでつい芽生えた恋により生まれた女の子(ハイシア)が、自分の両親に会いたいという気持ちで北京へ行く。
それを手助けする男(ホアン・ユーリン)が、ドキュメンタリーの進行を担っているわけだが、昔の下放政策で延安に送られ、出来心で恋が芽生え、子供を中絶させられたあげく、罰として、10年にも及ぶ労働につかされるという歴史を持つ。
ハイシアの親にあわせてあげることが、流れてしまった自分の子供への供養のつもりなのだろうか。
また、同じく、王偉という延安に住む農民の男は、下放政策でやってきた女性と知り合いになるが、強姦の罪を着せられ罰を受ける。王偉は、無実の罪を訴え、ホアン・ユーリンに、北京にいって、そのときの担当役人に会い、間違いを認めさせるように頼む。
下放政策は、文化大革命のなかのほんのひとコマにしかすぎないのだろうけれど、その歴史の波にいやおうなしに自分の青春時代を犠牲にさせられ、しかも青春の花である恋愛、人生の喜びである出産を、罪と罰の汚名によって封印された人間たちの深い悲しみを淡々と綴ったとても有意義な作品だ。
文革世代が五十代を迎えた今、彼らが考えていること
★★★★★
日本人監督が、中国に関するこのジャンルの記録映画を、よくぞ撮ったりと思わされた。
内容は、文化大革命のころ、「下放」政策によって田舎へ派遣された革命青年のあいだにうまれた私生児が、自身も大人となり子どもができた後に北京に居る本当の親に会いに行くというもの。しかし中身はそれだけではなく、マージャンに興じる枯れた老人たちが、自分達は(中国)革命運動に命を懸けてたんだ、それに較べりゃ文革世代のやったことはただの労働じゃないか、とつぶやくシーンや、(その老人たちでさえ『文革時代の毛首席はよくなかった』と言っていることに、僕は驚いた)実の父親が「おまえは偉いよ。北京の若者なんて、着飾って、そこらへんをふらふら歩いているだけなんだから」と娘に言うシーンなど、現代中国における世代間のギャップを浮き彫りにしていて、実に興味深い。
あの当時、混乱した社会情勢のなか下された「誤審判決」にいまだに苦しんでいるかつての文革青年が涙ながらにカメラに向かって「オレの人生を語ってくれ」と訴えるシーンなどは、文革と関係ない僕でも胸が苦しくなった。彼はあの頃も、今も、革命を信じていたのだ。そして真摯に生きてきた。
中国の民衆は深く傷ついている。裁かれた側も、裁いた側も。そしてその傷の痛みに今も呻いている。イデオロギー先導の国家である中国の現状。マスコミや国家による偏向のない「中国の真実」がここにある。
僕はこれを観て「日本(人)はこのような体験をしなかった。幸せでよかったな」とは言わない。逆にこう思う。彼らのこの苦しみは、我々日本人のどの部分、どういった「苦い記憶」に相当するのだろうか。それともそもそも、日本人においてそのような部分は存在しないのか。あるいはこの苦しみを経験しなかったがゆえに、別の巨大な不幸がいま日本を飲み込みつつあるのか。
ドキュメンタリー映画の真髄
★★★★☆
ほほ同時に見た「蟻の兵隊」では,現場の音が強すぎて私のような軽度の難聴者にとっては聞きづらいシーンが何箇所かありました。
本作は日本人監督によって撮影された日本映画でありながら,全編中国語で,会話にはすべて字幕がついていますので,現場音を生かしたドキュメンタリー独特の臨場感を楽しむことが出来ました。
舞台は,中国革命の聖地で,抗日拠点といわれる“延安”です。
文化大革命時代には都会から多くの子ども達が「再教育」のため貧村に下放されましたが,本作では,北京から延安に下放された当時の男の子と女の子が,どうこうなってしまい,女の子が人知れず女の子を出産,産まれた子は現地の農民に預けられますが,その後,養父母に実子が産まれるとほとんど面倒を見て貰えなくなくなります。
やがて彼女は成人し,家族を持ち,息子を産みますが,どうしても実の父母に会いたいという想いが高まり,20数年を経て,実際の父親,母親を探すというお話しです。
北京オリンピックも何とか無事に終わり,今日はパラリンピックの最終日,中国はこれで晴れて先進国の仲間入りといきたいところでしょうが,現実にはこのような“宿題”が全国に残っているんだろうと思います
文革とはなんであったのか。
★★★★★
生きている自分がいる。
産んだ者がいる。
それは 親。
その親に 会いたいと思う。
文革の「下方」方針は無謀であった。
思春期の若者達は北京から農村地帯へ学ぶために下方させられた。
男女の恋愛は禁忌であった。
しかし、子どもが生まれた。
女の子。
養女としてその地の大人達は育てた。
養女は 真実を知った。
親に会いたい。
北京に行くことを許した村の長老
父と会う
母と会う
いったい 文革とは何であったのか。
文革世代もすでに五十才を越えている。
こんな映画作りがあるのかと思った。
ドキュメントの 集成と編集で物語ができあがる。
この作品は 何回も観て、そしてたびたび泣いてしまった。
一度 ご覧あれ。
わが人生を おもいきり ふりかえさせ 他国の同世代の者たちの苦を想像させる。
「むすめ」として 自分を位置づけ 親に会いたいといった 女性の迫力に負ける。
文革の「下方」指示がいかなるものであったのか その実態を知る。
それにしても この作品をつくった池谷薫 監督には 頭が下がる。
すばらしき 映画なり。
必見。