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サブプライムから世界恐慌へ 新自由主義の終焉とこれからの世界

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 青土社
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金融恐慌の世界史的インパクト―新たなる希望の原理をもとめて ★★★★★
  2009年の世相を反映した「今年の言葉」は「新」という漢字であった。米国同様、日本でも自民党から民主党への「政権交代」が実現したが、この「新」には「期待」感と同時に「不安」感も入り混じっている。全うな国民心情からして、早急な経済対策や日本社会の明確な進路を表明してほしいが、中長期的に事の行方を把握する必要もあるのではないか。そうした心的姿勢は、経済学という学問分野における、「新」自由主義や「新」古典派経済学の限界を体系的に総括する試みにも妥当しうるだろう。

  本書は表題のごとく、世界経済危機の真因の1つであるサブプライム問題の金融恐慌への転化の歴史的相貌を広く深く省察したものだ。歴史を理論的に解明するマルクスの経済学に立脚し、その新たな可能性を見据えるスケール豊かな書である。新自由主義グローバリゼーションの最終的帰結とみなされたソ連型社会主義の崩壊という現実を直視しつつ、資本主義市場経済を乗り越えうる社会主義に新たな可能性を見出すスリリングな学問的志向性も明記される。われわれはそのためには今次の金融恐慌はもちろん、労働力の商品化と金融化の無理に内的矛盾を抱える資本主義経済の特殊歴史性とその作動機構の限界を確定することが欠かせない。マルクスの思想と理論を根底的に活かすというのは本書のようなものを指すのだろう。著者の覇気が漲る作品だ。

  どこから読んでもよい。世界金融恐慌の諸相を知りたい読者は前半2つの章、1929年世界恐慌との比較考察に関心がある読者は第3章、新古典派経済学の批判を含む金融恐慌をめぐる政治経済学(ことに恐慌論)を学びたい読者は第4章(個人的には本章が最も印象深い)、そして世界経済、日本社会の展望を概観したい読者は第5章とそれに続く「おわりに」を精読すればよい。危機や恐慌の先にある何らかの「希望」を体感しえた読者は本書の真意得たりといえるだろう。集大成に値する名著だ。
重厚で格調高く、かつ、根底まで深い分析が、明日の世界を占う本(だが、私にはちょっと難しい) ★★★★☆
サブプライム金融危機の原因を正確かつ詳細に分析し、1929年の世界恐慌
との対比を行うことを通じて、新自由主義の次の時代を考える本である。

サブプライム問題については、これまで読みやすい(やや軽めの)本が多かったが、
この本は、厳密な分析と正確かつ慎重な表現で格の違いを感じさせる。

1929年の世界恐慌との違いについて、
  1. 当時は、金本位制のもとで財政・金融政策の弾力性が小さかった
  2. グローバルな競合がなく、独占資本による弊害が目立っていた
  3. 貯蓄、保険、年金などの社会保障が脆弱だった 
  4. 現代にはオイルマネーが存在する
ことを挙げている。これらが、消費の大幅下落を緩和し、経済危機のクッションとして
作用することで、かろうじて恐慌が回避されているものの、長期に渡って、
世界不況となる公算が高いと指摘している点が気になる。

また、新自由主義の根底には、労働力の商品化、さらに労働力の金融化
による重層的搾取がある、という原理的な分析も学ぶところが多い。

しかし、新自由主義・・・自由で競争的な市場原理にゆだねることで
合理的で効率的な経済秩序が実現される・・・の威信が低下していることは
そのとおりだが、新自由主義が終焉を迎える、というあたりの解説がなく、
いまひとつよくわからなかった。

次の時代は、ベーシックインカムを提唱する社会民主主義が台頭するのか、
社会主義が再生するのだろうか? それとも、大きめのバブルが弾けただけであって
結局もとどおり再生するだけなのだろうか?
恐慌分析の“真打ち”登場!! ★★★★☆
伊藤誠の出番が増えてきた。ご存知の通り、金融クラッシュに端を発した「恐慌」の時代状況のゆえだ。

評者が管見したもののなかでは、最も緻密な「サブプライム金融恐慌」の分析だ。とはいえ、おそらく当該分析に就いては議論は百出状態だろう。二分どころではない。

労働力の商品化の深化形態である「労働力の金融化の略奪的貸付」には、改めて目を開かされる。また、重層的証券化という言い方、「二階から世界へ」と伝播していった多重証券化のしくみの解説によって、サブプライム問題のからくりが初めて腑に落ちる。
そのほかいくつも重要な指摘があるが、あれこれ書くと掲載されないので、ここらで。

文章はやや生硬で少し読み辛いところもあるが、記述は極めて手堅い。お手軽ビジネス本や新書ばかり読んでいる身には歯ごたえ十分。しかも論理的だ。

宇野派重鎮による誠実な論考であり、評者は“真打ち”登場の感がする。侘美光彦の見解も聴きたくなった。それももう叶わぬこと。2004年にお亡くなりになっているのですから。
森嶋通夫はどう言っただろうか?