色んな文体が楽しめる一冊
★★★★☆
表題作でもある『春は馬車に乗って』を「小川洋子の偏愛短篇箱」
で読んで以来気になっていた作家横光利一。
少し調べると彼は戦争に関するあれこれで戦後は不遇を囲ったらしい。
その情報を持ちつつ読むと、成る程本書収録の『厨房日記』以降の作品
は愛国主義的なものを感じずにはいられない。
この一冊を読むだけでも、彼が小説を書くことに対し飽くなき探究心を
持っていたんだな、というのが良く分かる。
『機械』なんかとてもあの美しい『春は馬車に乗ってと同じ作家の作品
だとは思えなかった。
私のように『春は馬車に乗って』を気に入り横光に興味を持った人間に
は期待はずれの感もあるかもしれない本書だが、一人の作家の変遷を知
るのには面白い一冊だと思う。
人間存在の深淵
★★★★★
横光文学を代表する作品「機械」。
ネームプレート製造所で働く四人が引き起こす騒動を通じて、
人間存在の不確実性が仮借なく暴かれる。
自分が確信を持っている事柄であっても、それが客観的に明瞭な事実であるとは限らない。
当然のことながら、主観的な確信と客観的事実の間には大きな隔たりがあるのだ。
それでは、客観的事実ではない事柄について確信を持っている自分自身とは一体何なのか?
ここで読者は「存在」の迷路に迷い込む。
「誰かもう私に代わって私を審(さば)いてくれ。私が何をして来たか
そんなことを私に聞いたって私の知っていようはずがないのだから。」
このように終わる本作で、横光は人間存在の深淵に迫った。
輝ける生
★★★★★
このレビューは特にこの短編集に収められている「春は馬車に乗って」について書きたい。ある夫婦の物語であり、妻は病にふせっている。夫は彼なりに献身的な看病を続けるが、妻の病状は悪化し・・・。ストーリーは暗いが内容はそうでもない。刻一刻と死に向かって進んでいく妻ではあるが、体が弱くなればなるほど挑戦的に夫に罵声を浴びせ、難くせをつける。夫も夫で死にゆく妻を見つめることに逆転した快楽をみつけようとする。それぞれに生きることをあきらめず妥協しない夫婦の生きざまが鮮烈に記憶に残る。技巧派として有名な横光だが、彼の作品の最もすばらしい部分は私小説的な内容においてこそ生きているとぼくは思う。同時に収録されている「御身」などでもそうだが、彼の悪く言えば単純、よく言えばまっすぐな性格が、ときに気持ちよく、ときにこっけいで、ときに悲しい。そんな横光の魅力が遺憾なく発揮された美しい短編。ちなみに川端康成がしょっちゅうエッセイの中で彼に触れているが、川端と兄貴肌の横光という組み合わせが面白い。よければそちらもどうぞ。