ターニングポイントをチェックせよ
★★★★☆
『蒲団・重右衛門の最後』です。表題二作収録。
蒲団は、日本文学史上のターニングポイントとされる有名作品です。その位置づけについては、ここで書く意味も無いのでググってください。
作品としてどうかというと、有名作品なのでストーリーがネタバレしているのですが、普通に面白く読めると思います。ただ、随所で言われている通り、現在ならばこれ以上に洗練された作品は多々あり、記念碑的意味合いが強い、というのも一面真実です。決してつまらないと切り捨てるほどではありませんが。
重右衛門の最後については。まず冒頭がダラダラしてつらかったのですが、全体の約4割くらいのところでようやく、今でいうところの中二病っぽい重右衛門の名前が出てきてから面白くなりました。展開はけっこう怒濤。最後の自然主義部分は説明がくどいのですが。
二作ひっくるめてそれなりに興味深く読めるので★4です。
日本における近代小説の幕開け
★★★★★
「蒲団」は既に他書により読了済みであったことから、「重右衛門の最後」を本書で読んだ。私小説の流れの上にある「蒲団」とは異なり、自然(藤田重右衛門と少女)と社会(典型的因習村落としての塩山村)の相克をモチーフとするストーリー・テリングの才には、生硬な文体はさておき、(大袈裟に云えば)後の菊池寛や横溝正史の諸作につながるような煌きを感じた。また、いわゆる若衆宿の記載(168頁)も興味深く読んだ。
自然主義文学派の考える"誠実"の珍妙さを浮き彫りにした作品
★★☆☆☆
作者の、と言うより自然主義文学派を代表するとされている作品。既に「自然主義文学=私小説」との概念が確立されており、「私」の身の回りに起こった出来事を誠実に書く事が文学だと勘違いしている一派だった。本作もその例に漏れない。
妻子持ちの文学者の私(=作者)と女性弟子と彼女の恋人の青年の三角関係を中心に、私の懊悩と劣情とヤセ我慢を描いたもの。しかし、女性弟子が去った後、彼女の匂いが残る蒲団に顔を埋めて泣く、と言う行為(事実であろう)を公の作品として発表する事が文学的に"誠実"なのであろうか、全く持って疑問である。自然主義文学派の考える"誠実"の珍妙さを浮き彫りにした作品。
ったく、男ってやつぁ(しみじみ)
★★★★☆
精神分析において、分析家と患者は治療のため、一時的な転移関係をむすぶ。患者が分析家
に恋愛感情に似たものを抱くのだが、ここで分析家は「逆転移」という現象に耐えなければなら
ない。分析家までもが患者に思慕を抱けば、後はなるようになるしかないのだから。それが分
析家の倫理といえる。
時雄は分析家でないし、芳子は患者ではない。しかし、私が思うにこの師匠と弟子という関係
は、限りなく分析家−患者の関係に近い。師匠に転移した弟子は、師匠がやろうとさえ思えば、
どうとでもなるのである。そして時雄は、この「師匠の倫理」というものを守れず、ずぶずぶと
はまっていってしまうのである。
物語の大半を占めるのは、弟子である芳子に愛情を抱きながら、何もできずに彼女を他の男に
持って行かれるのを指をくわえて眺めるほかない時雄の悶々とした感情である。女性読者のみ
なさん、なんてみみっちい男って思われるかもしれませんが、男も内心はこんなもんなんですよ。
主人公時雄は三重の意味で敗北者だ。一つは師弟の関係を超えた感情を抑えきれなかったこと。
二つは、師弟という関係の禁忌に縛られたまま、結局芳子に想いを打ち明けられず、その一線を
越えられなかったこと。そして最後の一つは、かといってその別れの悲しみをグッと耐えることも
できず、物語の最終盤において彼女が去っていったあとの部屋で、ある倒錯を犯してしまったこと。
私が思う日本近代文学史上に残る「かっこわるい男」の一人に、彼は堂々のランクインだ。
しかし、それだからこそ、読む者はこの男に愛着が湧くのではないだろうか。
この時代に恋愛小説として読んだ場合
★★☆☆☆
因習を超えて自由に恋愛と文学の道を進もうという「明治の女性」に恋をした、パッとしない小説家の煩悶を描いた作品。作家自身の個人的体験を情けなくも赤裸々に描いたとされるこの作品は、「私小説」「自然主義」といった視点から当時は文学的事件になった作品である。
東京から田舎に送り返されたヒロインが、それまでの言文一致体の手紙から候文の手紙を送ってくるラストなどは、当時の文体の問題にも目配せしてあるとも言えよう。
つまり、背景をきちんとおさらいすれば、この作品が日本文学史上、ある時代の代表作だったことはよく分かるのだが、いかんせん恋愛物語として今の時代に読むと、ストーリーが平凡な感は否めない。それは明治時代に男女関係や女性に社会が求めた道徳と、その手のモラルが壊れきった平成の世の恋愛間との違いといえば、当たり前すぎる陳腐な解釈になってしまうのだが、でもそうなのだから仕方が無い。
文学史のお勉強として読めば読んで損はしない作品なので4点くらいは付くだろうが、今の時代に単に小説として読めば1〜2点の読み応えである。恋愛小説として一般人が今でも面白く読めるかどうか、というこの点は、中古取引価格の低さにも現れているのではないか。