ユーリ、エーリク、オスカーの3者の意識が
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交錯します。
コトバ(台詞)の速度を、お互いの勘働きが追い抜いていきます。
そして、その中心に、そのときには、そこにはいない、「トーマ」が存在します。
トーマの理解と行動はこういうものだったのだ、という形が、登場人物の前にあらわにされます。
御手はあまりに遠い、といいますが、すでに、はなから一切は用意されてあります。
それでは、意識のつきぬけるさきには?
まさしく永遠なるもの
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不朽の名作、という形容がふさわしい作品だと心から思います。
私はこの作品から心を学びました。
12-14ぐらいのころに初めて手に取り、
小学生のころは理解できなかった登場人物の思索も、年を重ねることで理解できるようになるのです。
それは感動的なことでした。この本とともに成長があったといって過言でない。
もう大人になり、ゆっくりと手に取り読み返すこともありませんが、
読まなくてもいつも自分のなかに、静かだけどきらきらとした思い出としてこの作品が生き続けているのがわかります。
感じてもらうしかない
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『トーマの心臓』と大島弓子氏の『綿の国星』、少女マンガについて多少でも知っている人なら、この2作が名作、それも超がつくほどの名作であることを知っている。この2作に共通することとして、読んだことのない人に、その良さを説明するのが難しいということがある。この二つの作品に比べると、山岸涼子氏の『日出処の天子』や『天人唐草』は、はるかに説明しやすい(だからといって、劣っているとは言っていない)。
『トーマの心臓』のストーリーをどんなに詳細に説明しても、何かもどかしさが残るだろう。宗教だとか、少年期の純粋さ、という言葉を使っても、微妙に違うと思えてしまう。ようするに感じてもらうしかないのだ。そして、作品を読んだ時に感じることが、年齢を経るごとに微妙に違ってくる。
未読の人に言いたい。たかが若者の悩みを書いた作品とあなどってはいけない。おそらく、感受性がある程度さえあれば、50歳や60歳になって読んでも、何かしら感じるところがあるはずだ(『綿の国星』も同様)。
死ぬ前にマンガを1冊読んでいいと言われたら、間違いなくこれ。
★★★★★
この漫画には本当に惹かれます。一人で苦しんで努力馬鹿になっていたユーリが
全ての過去も自分も友達も愛し得る人に戻っていく様は、おおよそ全ての芸術が
目指そうとしている人の再生の過程の極みだと思います。ユーリが美しい人になって
旅立っていく様は、本当に透き通っています。人の教科書だと思います。
募金したら羽貰えるけれど
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漫画を読むとその世界にどっぷり浸かることがあります。
そんな時は自分が主人公視点でいるとか、どのキャラクターに感情移入してるとかそういったものじゃなく
私が私として、どんな立ち回りという訳でもなくその物語に参加している気分になります。
エーリクが読者視点のように描かれているけれど、彼すら私の友人で、ほんの数百ページの間賑やかな学園生活を送らせてもらいました。
どっぷり浸かった作品はしばしば喪失感をもたらします。
好きだったキャラクターが去っていってしまう時です。
メーテル、ハル子さん、イリヤ、今まで沢山の人が去っていきました。
もう一度作品を読み返せば彼らに会えるけれど、私の中では彼らはもう去っていってしまったもので喪失感は埋められるものではありません。
ユリスモール、彼は暴力に屈します。だけど彼が心を閉ざしたのは暴力に屈してしまったからではありません。
上級生の誘いに乗ってしまった、何が待っているか知っているのにそこに向かってしまった。
そしてユーリは心を閉ざし、自分には人を愛する資格がないのだと考えます。
これはユーリが愛する心を取り戻す物語です。
好きだった人が去っていくのはとても寂しい。
もう会えない、だけど会えなくなった彼らがどうなったのか考えることはできます。
寂しいけれど悲しくはない。
やさしい神父さまになったユーリが見えるのだから。
すぐに届きました。商品写真のものとカバ…
★★★★☆
すぐに届きました。
商品写真のものとカバーが違ったので、ちょっとびっくりしました。
(下に通常のカバーがちゃんとありました)