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素顔のカラヤン―二十年後の再会 (幻冬舎新書)

価格: ¥840
カテゴリ: 新書
ブランド: 幻冬舎
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カラヤン本というより、著者の自伝的な本 ★★★☆☆
『素顔のカラヤン』というタイトルのわりに、カラヤンのエピソードは多くなかった。
半分くらいは著者の自伝的要素があったんじゃないだろうか。
ただ、カラヤンという人のプライベートな姿を知るための貴重な本ではあると思う。

この本の中で面白かった一節に、以下のようなものがあった。

カラヤンが本番前に、ソニーの盛田氏から新製品ウォークマンを渡された。
その性能チェックのためにカラヤンは音を聴いてチェックしていた。
さて、いざ本番が始まると、カラヤンは出だしから指揮を間違えたのだ。
オーケストラは戸惑って、演奏をストップ。
それに対して、カラヤンも「あれ?」と指揮を中断。
再度、やり直し。
しかし、カラヤンはまたもや指揮を間違えたのだ。
そして、コンサートマスターから間違いを指摘され、仕切り直し。
この話の面白かったのは、ここからである。
その日、オーケストラには参加していなかった団員が、著者のことろへやって来て、
「どうしてカラヤンはチャイコフスキーの第5番を指揮を始めたのですか?
あれはどう見たって、チャイコフスキーの5番だった!!」
と言ったというのだ。
そして、実はカラヤンが直前にウォークマンで聴いていたのが、
まさに、そのチャイコフスキーの第5番だったのだ。
これは凄い。
まず、間違いに気づいて演奏を中断したオーケストラが凄い。
プロには指揮者の間違いが分かって当然なのかもしれないが、
3拍子と4拍子を間違えたのならともかく、強弱の間違いなのだから、
素人からしたら、やはり凄いと感じてしまう。
そして、この質問をした団員がさらに凄い。
振り方で、チャイコフスキーの第5番と分かるところが凄い。
最後に、カラヤンが凄い。
指揮者は、オーケストラの音を聴きながら指揮するわけではない、ということだろうか。
自らの頭の中にある音をオーケストラに再現させるべく指揮をするためには、
演奏されている音よりも少し先に思いを巡らせなければならないのだから。

カラヤンにかなり近かった方が書いている本なので、
カラヤンびいきになってしまうのは仕方がない。

音楽に対して真摯で、人に対して不器用で、
自分を良く見せることが下手で、人から誤解されやすい。
そういうカラヤン像を持つようになる一冊。

ちなみに、文体は「ですます」調。
当たり障りのない中身 ★★☆☆☆
中身の掘り下げが不十分。1.テーマに関係のないたとえば指揮者ベームの話が出てきたりと焦点ボケの感。2.暗部の話の説明がなく、わからない。たとえば新芸術家協会、CAMI台湾事件。3.カラヤン来日の事項で公開すべきは、全盛期に音響の悪いNHKホールと「ふもんかん」でしか演奏されなかった経緯。明暗の両方が組み込まれて初めて十分な書籍といえると思います。
カラヤンの偉業に実眼で迫る! ★★★★★
著者がカラヤンと出会った1970年からカラヤンが亡くなる1989年までの、指揮者・演奏家・音楽家としてのカラヤンの姿が記されています。CDに録音された曲やマスメディアから伝わるものとは一味違うナマのカラヤンが描かれています。この本に書かれたカラヤンの真摯な言動から、仕事をする上で、生きていく上で、示唆に富むメッセージが込められています。また、著者が、出会った人々を大切にして、その出会いを織りなしている様も伝わってきます。カラヤンのCDをまた聴いてみようと思わせる1冊です。
目を閉じて指揮するだけでナルシシズムと極論する勿れ ★★★★★
自分にはとても敵わないような抜群の能力をもった人物をみたとき、英雄として仰ぎ見る人と、欠点を探して貶める人とがあるように思う。カラヤンの場合、本人が弁解を一切しない人であったこともあり、毀誉褒貶はとりわけ激しかったし、今も激しい。クラシック音楽の愛好家の中では、カラヤンを嫌い、その悪口を言わなければ一人前でないかのように思われている節もある。しかしそれらの罵詈雑言の大半が名誉毀損にも相当するような事実無根の誤解・曲解であることは、種々の伝記を総合した結果ほぼ間違いないことに思われる。これについても、カラヤンの検閲を通過した書物しか流通していないからだとする人は多い。そこまで疑われたら当方も証明の仕様がないけれど、こうして没後出てくる回想記にも、私の知るカラヤン像との矛盾はとくにないようであるから、彼が口ベタでシャイで質素で謙虚な人柄であったことは、大きな間違いではないのであろう。つまりオビに書かれている「こんなカラヤン知らなかった!」という文句は、マスコミがした歪曲を自己修正したに過ぎないのである。確かに大半の人はマスコミが作ったカラヤン像に踊らされて知らなかったのであろうが、彼の伝記をきちんと読んだ人には自明のことばかり。アンチ・カラヤンの誤解をあえて弁護して言うなら、カラヤンの取り巻きがカラヤンの虚像作りに大きく「貢献」したのだろうと思う。

著者はカール・ベームの回想記を書いた人だと記憶している。カラヤンの死後20年経って、楽壇が彼を失ったことの測り知れない損失が、本書から実感できる。日本人の回想は地元ヨーロッパの書物にはまず引用されないから、これは貴重な資料である。