【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:中川右介/著 出版社名:幻冬舎 シリーズ名:幻冬舎新書 な-1-1 発行年月:2007年01月 関連キーワード:カラヤン ト フルトヴエングラ- ゲントウシヤ シンシヨ ナ-1-1 からやん と ふるとぶえんぐら- げんとうしや しんしよ な-1-1、 ゲントウシヤ ゲントウシヤ 2076 げんとうしや げんとうしや 2076、 ゲントウシヤ ゲントウシヤ 2076 げんとうしや げんとうしや 2076 クラシック界最高の名声と金そして権力が集中するベルリン・フィル首席指揮者の座。ナチス時代、その三代目に君臨する巨匠フルトヴェングラー。彼は誠実な音楽の僕でありさえすればよかった、比類なき才能と野心をもった青年カラヤンが現れるまでは-。嫉妬の炎を執拗に燃やし詐略をめぐらす巨匠、巧みに抗うカラヤン、そこに巨匠を慕う無名の田舎音楽家チェリビダッケが加わり、争いはさらに複雑になる。クラシック黄金時代の美と欲望のドラマ。 第1
読みやすくて、面白くて、値段も手ごろ。
★★★★★
素直に「面白かった!!」と言える本。
直前に読んだ『世界の10大オーケストラ (幻冬舎新書)』は正直難しかった。
地名も人名も曲名もたくさん出てきて、頭パニック。
それでも読み通したおかげか、今回の本にはちらほら知っている名前も出てきて、
最初から最後まで飽きずにするっと読み通すことができた。
カラヤンもフルトヴェングラーも、人間的に素晴らしかったわけではなさそうだ。
どこにでもいる野心家であり、嫉妬心や猜疑心に悩まされる人たちであり、
時に大胆に、時に臆病に、人の心を掴んだり、人を傷つけ遠ざけられたり、
そういったことをする、普通の人だったようだ。
ただ一つ、世間の人と決定的に違うのが、音楽という分野での才能だろう。
「カラヤンは表面的な美しさだけを追求していて中身がない」
そういう風に評されることが多いようだ。
それに対して、フルトヴェングラーの評価は「芸術的」というものが多い。
さて。
フルトヴェングラーの10枚組CDが1000円ちょっとで売られていたので買ってみて、
それをいくつか聴こうとしてみたが、どうにも録音状態が悪い。
コンサート録音のようで、会場の咳払い、足音などが入っていて、
それはそれで臨場感があるという表現もあるのかもしれないが、
録音形式がモノラルということもあって、いまいち感動がなかった。
きっと良い録音のものを聴くと、また印象が違うのだろう。
本の紹介からそれてしまったが、非常に読みやすく、面白い。
値段も手ごろで、お勧めの本である。
ベルリン・フィルの首席指揮者ポストをめぐる熾烈な闘争を暴いたもの、面白いがちと後味は微妙。崇高な音楽に変わりはない筈だが。
★★★★☆
世界最高のオーケストラ、ベルリン・フィルハ−モニ−の首席指揮者というポストを廻る指揮者たちの熾烈な闘争、その内幕を暴いたものだ。主要人物のキャラクタ−は、3人いる。一人目のフルトヴェングラ−は、史上最高の指揮者だが、性格的には、優柔不断で、猜疑心が強いという欠点があった。女性には抜群にもて、数多くの恋人・愛人、非嫡出子がいた。二人目のカラヤンは、史上最大の指揮者だが、音楽的才能を疑う者がけっこういる。性格についても、気難しい、独善的、権力欲、金銭欲が強いと言われた。三人目のチェリビダッケの音楽的才能については、賛否両論がある。かなり個性的な演奏で、異端の指揮者である。性格は、よく言えば情熱家、悪く言えば感情の起伏の激しい激情家である。
ベルリン・フィルハ−モニ−の首席指揮者のポストは、フルトヴェングラ−から、カラヤンへと引き継がれたが、その背後にはドロドロした権謀術策が渦巻いていた。巨匠フルトヴェングラ−は若き駆けだしのカラヤンを競合者として叩き、戦後首席指揮者の空白期間を埋めた異端者チェリビダッケは、その貢献にも拘わらずフルトヴェングラ−を引き継ぐことはなかった。カラヤンは、巨匠フルトヴェングラ−が最期を迎えつつある時期に、アメリカツア−の指揮を受諾する交換条件に、終身首席指揮者の契約を獲得するというものだ。幾分、当該著書の文章は読み辛い。崇高な音楽の世界の舞台裏を偶に覗くのも悪いことではあるまい。
チェリビダッケがベルリンフィルに残らなかった訳
★★★★★
チェリビダッケがベルリンフィルに残らなかった訳を知りました。
はずかしながら、チェリビダッケという名前を初めて読みました。
もっとはずかしながら、フルトヴェングラー も意識したのは初めてです。
ベルリンフィルのまわり、カラヤンのまわりの事柄を知ることができました。
指揮台をめぐる権謀術数
★★★★☆
結末がわかっている物語ながら、わくわくしながら読了しました。
ベルリン・フィルという世界最高のオーケストラの指揮台をめぐる骨肉の権力争いを、
ナチ台頭の時代から戦後にかけて、時系列で記してあります。
本書にはタイトルの巨匠2人以外に、ルーマニア出身の指揮者セルジュ・チェリビダッケと、
戦前・戦後のクラシック音楽界で多大な影響力を有した英国人レコード・プロデューサーの
ウォルター・レッグが重要な登場人物として描かれ、その4人を中心とした欧州楽壇の様子が
活写されます。
何月何日に、誰がどこで何をしていたか。そしてそのとき、ライバルは何を考え、どう行動したか。
フルトヴェングラーは「彼が音楽祭に出るなら私は行かない」などと、22歳も年下のカラヤンを
なぜ毛嫌いし、異常なまでに目の敵にしたのか。
フルトヴェングラーの没後、ベルリン・フィルは、それまで数百回も共演を重ねたチェリビダッケでなく、
10回のコンサートしか振っていないカラヤンをなぜ、しかも「終身」音楽監督に選出したのか。
それらの理由が、ドキュメンタリータッチで描かれます。
もちろん、淡々と日記形式で書いていくだけでは本になりませんから、作者は文献や、
残された手紙などの状況証拠から、それぞれの心情に踏み込んだ推察を展開し、非常に
人間臭い権力ドラマを書き上げました。
また作者は、それぞれの「演奏」に対しては私見をいっさい下しておらず、あくまで
激動の時代に生きた芸術家各人の、ときに不器用な生き様を描くことに力を注いでいます。
他の方のレビューには、本書は「偏見に満ち」ており、人物描写が一面的であるとの
指摘もあるのですが、私には、各登場人物の非常に複雑な人間性が浮き彫りになっており、
読み応えのある作品と感じられました。
本書を原作に、ドイツで映画化してもらえないかなあ… そんな夢想さえ抱かせる、労作です。
労作で論点明確ですが、長過ぎます
★★★☆☆
よく言えば「労作」、意地悪い表現をすれば、文献を写真に撮って(ほぼ)順番に並べただけのスライドショー。センテンスは明瞭ですが、文脈がありません。資料からの引用や妥当な推量はその通りだと思いますが、往々にして検察側の言い分なのか弁護団の主張なのか不明。速読可能な自分が、ずいぶん読むのに時間がかかってしまいました。
内容的には、優柔不断で嫉妬深いフルトヴェングラーが中心となっています。カラヤンの『五線譜のラブレター』的な嗜好には、全く触れられていません。また、カラヤンが「小柄」と一度だけ表現されていますが、数字どころか図画や写真などグラフィックが皆無のため、対比が分かりにくい。写真にこだわりのある著者ですが、せめてイラストを活用して欲しかった。
クラシックのCDなどはかなり売れない部類の音楽に入るのですが、カラヤンの名前があるとCDでも本でもつい手に取ってしまう消費行動がなくならない限り、こういう二次的情報の“ベスト盤”はこれからも出版されることでしょう。
労作に敬意を表したいとは思いますが、アメリカならば学士号の論文として提出されていたとしてもおかしくない程度の情報の質とアプローチ。著者による他のカラヤン本(新書)も一緒に入手しましたが、時間の無駄と判断したので読まないことにします。