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荷風さんの戦後 (ちくま文庫)

価格: ¥798
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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「風狂の人」、永井荷風 ★★★★★
正直言いまして、永井荷風と言うとどうしても戦前の作家と言うイメージしかありませんでした。
実際、彼が昭和34年まで生きていたとは思ってもいませんでした。

半藤一利の描く戦後の永井荷風は、石川淳の言う「敗荷落日」の荷風ではなく、孤高にして反骨精神旺盛な男らしい男だったと思います。
それを作者は、「精神貴族」と評していますが、なるほどぴったりくる表現だなと思います。

そして、荷風にとってのこの「戦後」と言うものは、「新しい生涯に入ることを、僕はもう望んでゐない」と言う言葉通り、「風狂の人」そのものだったのだろうと思います。

特に印象的だったのは、全集が出ると決まった時に、偏奇館の土地を売却するところです。
まさに「我が文学、完了せり。」と言ったところではないでしょうか。

それにしても、素晴らしい評伝でした。
「断腸亭日常」で荷風の戦後生活を浮彫りにする ★★★★★
 昭和20年、荷風66歳の3月10日の東京大空襲で麻布の偏奇館を蔵書とともに焼かれる。その浩瀚な日記『断腸亭日乗』3月9日の項に「下弦の繊月凄然として愛宕の山の方に昇るを見る、荷物を背負ひて逃来る人々の中に平生顔を見知りたる近隣の人も多く…」と名文が続く。その後も会わせて三度も焼け出され、身一つで流浪の生活を続けねばならなかった荷風の精神状態を跡づけている。昭和という悪政のまかり通っていた時代にも〈痛罵〉し〈呪詛〉し〈酷評〉し時に〈偲び悲しむ〉ことはあっても、「孤高」にして頑なまでに「強き」であり「倨傲」であった。その「精神の高さ」がどう屈折していくのか、それをたどっているのが本書である。
 昭和22年1月12日「…夜扶桑書房主人来り猪場毅余か往年戯に作りし春本襖の下張を印刷しつつある由を告ぐ」そのことで筆禍事件を起こしやせぬかと憂慮している記載がある。後に猥褻裁判で有罪となったためか「荷風全集」に収録されたためしがない。
 世事には疎く冷眼視して生きた荷風は〈すべてに馬耳東風〉という評語が当たるだろう。
 昭和23年になると、浅草六区大都座楽屋に通うようになる。お気に入りは女優櫻むつ子だった。踊り子たちに囲まれる生活が続く。踊り子選考の審査委員団長までする。出歩くときコーモリ傘をいつも持っているのは「湿気の多い東京の天気に対して全然信用を置かぬ」からだった。
 昭和34年4月30日未明、まさしく望みどおり「ぽっくり死んだ」そのとき著者は比較的早く駆けつけている。「小さな机の上に眼鏡とならんで開かれていたのは洋書であったと記憶している」と述べている。死ぬまで絶えず勉強を続けていたということがわかる。