脱帽セザルヲ得ズ
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軍事専門書である。秋山思想の核心に触れるどころか、思想があるかも読みとれず終わりそうな敷居の高い本である。一方、報告書や命令書式の各項目の意義を詳しく解説している点もあったりするので読み物として面白かった。
阿川弘之著「井上成美」の中で、東郷の訓令を批判する箇所がある。曰く「百発百中の砲一門、よく百発一中の砲百門に勝つ」は数学的におかしい、と。井上の指摘はもっともでありながら、訓令作成の張本人たる合理主義者・秋山がどのような意図だったのかが長年分からなかった。しかし本書を読み、漸く腑に落ちた。
「例えば砲12門を有し其の砲術百発四中の練度を有する艦は12x4=48をもって砲の攻撃力量とするが如し。而して若し対抗艦艇の戦闘力を比較算定せば、各種機関及其の技術の力量に就きて一定の係数と単位を設け綿密なる計算を重ねざるべからず。」P33
「砲門の数」を係数A、「兵士の練度」を係数Bとし、両者の乗数である「戦力AB」をもって敵と味方の力を比較せよ、と秋山は述べている。彼の戦力分析は(当たり前だが)合理的だ。ところが「係数B」である「兵士の練度」は定量計測できるものではないから、彼我の優劣判断する基準などないとも、別の個所で述べている。それではどうしたらよいのか?
「若しそれ彼は百発十中我は百発三十中、我の一能く彼の三に対抗しうべしなどの自負的立算をもって戦場に臨めば、意外にも彼の百発五十中に圧倒せられて、又起つ能わざるの敗滅を招くことあるべし。況んや我のたのみし100発三十中すらも、士気其他の影響を受けて、転瞬の間に百発零中に減退することあるに於いてをや、深く戒めざるべからず。要は唯だ百発百中に達する迄進んで息まざるにあり。」P53
驕りこそ未来の破滅につながることを知っていた秋山は、戒めをもって訓令の精神としたのではないか。秋山の謦咳に脱帽さぜるを得ずであった。