パッと読んだ印象・・それは、驚きでした。「これは『詩』だ!」と、思いました。顕現した言葉の質感、行間に響く余韻・・本当に驚嘆いたしました。(それからというもの週毎の新聞掲載を楽しみにし、何かの事情で掲載が潰れた時は本当にがっかりしたのを覚えています。)
芸の間合いの大切さについて、歌舞伎の世界のある名人は「間は魔に通ず」と述べたそうですが、『風塵抄』の行間に保たれている「間」の充実度はおそるべきものだと思います。
饒舌ではないのです。訥々とした語り口なのです。しかし、伝わってくるのは、司馬遼太郎記念館の高さ11メートルの書物の壁に見下ろされた圧倒感です。膨大な知識の蓄積、造詣が行間に気品を湛えて迫ってくるという印象です。取り上げられ、扱われているのは日常生活の身近な問題ですが、その語り口は、俗に堕さず、凛とした佇まいを保っています。
『風塵抄』は「春風のよう」に爽やかな人物であったと井上ひさし氏評する司馬遼太郎の遺産、司馬さんの残した「詩篇」であると、私は思います。