事故によって、身動きがままならなくなった男性、ヒュー・ノリーズ。彼が、コーンウォールの町で過ごした時に出会った人たちの行動や言動を、傍観者の立場から書き記していった第二次大戦下での記録。その記録の中から、ジョン・ゲイブリエルという男と、ファム・ファタル(運命の女)の役割を担うひとりの女性の姿が、生き生きと眼前に描き出されていきます。
なぜ、その時、そういう行動をとったのか? 本人にも定かでない、しかし、そうせざるを得なかった心の不可解さ、計りがたさが、ヒュー・ノリーズの記録を通して、読者の前に提示されます。この辺のクリスティーの筆致の精妙さ、おぼろげだったものが徐々に形を整えてくるプロットの力強さは、実に読みごたえがあるなあと唸らされました。
ラスト一行に込められた意味深さ、その衝撃も、かなりのものがありました。結構くるものがありましたね、このラスト一行は。
クリスティーが、メアリ・ウェストマコット名義で発表した1947年の小説。
原題は、The Rose and the Yew Tree 「薔薇とイチイの木」。
「春にして君を離れ」の、「自分は自分をどれだけ知っているのか、理解しているのか」というテーマと対をなす作品として書かれたのかも知れない。
この物語の語り手であるヒュー・ノリーズが語る、ゲイブリエルという男性とイザベラという女性。話の大部分は、ノリーズによって淡々と語られ、最後のゲイブリエルの2回の語りの中で、物語は一気の結末を迎える。と同時に、読み手は再び導入部のプレリュードに戻らざるを得ない。
ノリーズの語りが淡々としすぎていて、結末までたどり着くのが危うくなりかけた。この作品は、最後まで読んで、初めて、価値がわかる作品であることは強調しておきたい。