アガサの愛の小説シリーズの中では、一般的には「春にして君を離れ」の評価の方が高いようだが、砂漠の真ん中で、延々と自分自身と向き合う一人芝居を見せられている趣きのあるこの作品よりは、日常のエピソードを題材に、主人公のその時々の感情を木目細かく描いた「未完の肖像」の方が、ずっと感情移入しやすく、ストレートに心に迫ってくるものがある。
この作品は、冒頭で、自ら命を絶とうとする主人公シーリアと、それを察して思いとどまらせようとする通りすがりの画家の出会いが描かれた後、時計の針が一気に逆回転し、シーリアの幼少期から冒頭のシーンに向かってさまざまなエピソードが綴られていき、最後に、このタイトルの意味が明らかとなる構成となっている。
ちなみに、この作品には、アガサ自身の実体験を投影していると思われるエピソードがしばしば出てくるが、特に、少女シーリアが、人を傷つけたくないばかりに誰にも本心を話せず、ただ泣きじゃくり、「助けてちょうだい!」と訴えかける心の叫びに、母だけが気付いてくれたときに、泉のように湧き上がってくる母への愛に触れたくだりとか、少女シーリアの想像の産物である「あの子たち」に役を割り振って、空想の世界でひとり遊びにふけるシーンには、まさに内気でデリケートな少女アガサそのもののエピソードが描かれているとしか思えないリアルな生々しさがある。