作家司馬の対談相手は大阪大学元学長の医学者山村、
何十年か後の将来、日本人の会話能力に関する研究が成されるとしたら、本書は20世紀の日本人の会話の良い見本として採用されて然るべき、
本書に記録された会話の見事さの対極にあるのが次の二つである、
昨今の日本のテレビはトーク番組が主流、大勢が集まって討論する番組も一定の支持を集めているようだが、あれらは決して「ディベート」とは呼べない、参加者が自身の意見を一方的に述べているか、お互いに揚げ足取りに終始するかであり、1対1の議論になったときの日本人の脆弱さを助長しているのではないかとも思う、
もう一つがすでに日本人男性の主流になりつつあるいわゆる「オタク」の会話である、おれはAを読んだ、私はBを読んだ、僕ははCを読んだ、と一種の独り言の繰り返しでお互いを慰撫しあうような会話のことである、
両者に共通するのが「聞き下手」である、人の話を聞くよりも自身が話すことばかりが優先される人格の氾濫は誰にとってもじつに不幸な現象であろう、
あんな話し上手の人はいない、とみんなに誉められる人が、実は本人はさっぱり話さずに熱心に人の話を聞き続けられる人だった、という笑い話を思い出させる本です、
範囲は多岐にわたるが、書かれた議論のほとんどは今でも燻ぶっている。いわば根本に近いものだ。最近の上っ面だけを眺めた繰り返しばかりの議論ではなく、結局の所という側へ視線が向いている。その点で古い本だからあまり価値がないということはこの本にはありえない。