今や公共哲学の古典
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この本は、書かれた時期もあって、公共哲学という名こそ使っていないが、日本における公共哲学の古典と呼びうるにふさわしい位置づけが与えられて然るべきのように思われる。「共同体」と「公共性」の違いを明確に打ち出した点、アーレントの公共性論に負いながら、それを日本でおそらく初めて批判的に発展させた功績は大きい。やや問題(争点)が残るとすれば、親密圏をめぐる著者の位置づけであるが、著者の考えに必ずしも同意しない人も、本書は、特に「政治の公共哲学」public philosophy on politics を学ぶ上で、必読の古典となったと言っても過言ではない。
コンパクトにまとまっている
★★★★☆
アーレント、ハーバーマスの議論を土台に自説を、時に苦しくもありながら、丁寧に展開している。基本書であり、そして良書。
「公」とは何か
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1958年生まれの政治思想史研究者が、現在あまりにもバラバラに語られている、公共性をめぐる言説を位置付ける一つの見取り図を提供しようと、2000年に刊行した本。公共性(「はじめに」に一応の定義あり)はしばしば国家と同一視されるが、本来多様な価値観=複数性の「間」に、多様なレベルで存在するものであり、国家はその一端を担うにすぎない。したがって、公共性を豊かに保つためには、多様な主体がそこにアクセスでき、他者からの応答を受ける権利を有することが必要である。公私の区別も、多様な主体による合意形成(これは言説のレベルには一元化されえず、ディスプレイの政治の形をとることもある)によって初めて定義されるのであり、もとから決まっているわけではない。したがって、親密圏(家庭と単純に等置できない)も公共圏ときっぱり分けられるものではなく、むしろ新たに創出される公共圏の殆どは、親密圏が転化する形で生まれる。この点で親密圏は両義的なものであり、一方では等質的な者同士の相対的に安全な空間であると同時に、対抗的公共圏の形成される場でもある。著者はこうした公共性をめぐる議論を、主としてハーバーマスとアーレントを批判的に継承する形で、またセン、ロールズ、共同体主義等の議論とも絡めながら、理論的に整理していく。現在、社会的連帯の空洞化と、諸々の等質な「飛び地」への人々の社会的・空間的分断化が見られ、また公共性を国家や共同体と安易に同一視する議論も見られるが、著者は一定の留保を付けながらも、公共性の担い手の多様化(NGOなどへの注目)の傾向に期待し、多様な公共圏からのニーズの絶えざる政治化と、それによる公共性の不断の組み換えの重要性を説く。公共性をめぐる多様な論点に目配りしており、私は著者の基本的な立場にも納得できる。
入門書として最適
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「公共性」に関する古典的議論から近年の議論までが簡潔にまとめられた一冊。
第一部で今日における「公共性」に係わる議論の動向が整理され、著者の問題意識が鮮明にされる。ここでは60年代における国家による「公共性」の独占から90年代における「市民的公共性」の塑性、これと対立する「国民共同体」として「公共性」を捉えようとする議論が示され、今日における論点が明らかになる。著者は「公共性」を、開かれており、多元的な価値の間に成立し、差異を前提とする言説の空間であるとする。
第二部では古典的な文献を紐解きながら「公共性」の意味の検討がなされる。第一章ではハーバーマスにおける「市民的公共性」、第二章ではアーレントを引きながらパースペクティブの複数性の議論が、第三章では「公共性」が生命の保障をいかに担保するかということが社会国家化の議論として語られる。第四章では「公共圏」と対置されがちな「親密圏」(家族をその一つのあり方とする)の「公共圏」への転化の可能性が検討される。
著者は「公共性」もこれを形成する核となる自己も一義的、単一のものとは捉えておらず、「公共性」は複数の次元をもつものであるとする。
第三部で「公共性」に係わる基本文献が挙げられるが、古典的文献から、現代的イシューに対応した個別テーマに係わるものまでが整理されており、著者の幅広い知見の蓄積が垣間見える。
古典的な知見をわかりやすく解きつつ、今日の問題と対応させた形でその意義付けを行っており、「公共性」に係わる入門書として最適。平易な記述とはいえ、扱っているのは古代からの普遍的課題であり、それなりの居住まいは必要であるが。
渾身の作品
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100頁たらずのコンパクトな書物であるが、内容は濃い。著者自身が「この本でここ数年公共性にふれて考えてきたことに一応区切りをつけることができた」というように渾身の作品となっている感がある。アーレントにおける公共性をたたき台として、自らの「公共性」論を展開する。特に第3章の「生命の保障をめぐる公共性」および第4章の「親密圏/公共圏」は現在の公共性について、現実に即して明瞭にそして的確に論理が展開されており、説得力がある。「共同体」という概念でなく「公共性」という概念にこそ現状をのりこえていく何らかの可能性が残されている、そんな感じである。諸個人の「善き生の構想」は和解不可能であるとして、それらを一元化するあらゆるものに否をとなえ、その上で可能な「公共性」とはいかなるものかという可能性を冷静にたどっている著者の思索は魅力的であり、読み進めていくうちにぐいぐいとひきつけられる。