藤原保信への応答
★★★★★
このシリーズ特有の硬さがあるが、「自由」についてコンパクトにまとめらている。
齋藤純一の師にあたる故藤原保信に『自由主義の再検討』という名著があったが、そこで藤原はアーレントやバーリンといった全体主義を分析した論者について言及することなく、コミュニタリアニズムに共感を示すことで、一応の留意は払いつつも、やや反動的な要素を含んでいる部分があったように感じられた。
齋藤が本書を「自由概念の再検討」からはじめているのは、この書物を受けてのことであろう。
そして、そこではバーリンを中心に据え、アーレントについても十分ページを割いて、そうしたところから議論をスタートさせている。
実際のところどういう意図があるのかは定かではないが、これは私には非常に得心がいくものがあった。
リベラル・コミュニタリアン論争といった、古典的な問題は本書ではほとんど触れられていないが、それは逆に藤原の書物が既に検討を加えていたものであった。
したがって、この二つの書物をセットで読むと、「自由」というものの理解が深まることは間違いないであろう。
確固たるアイデンティティと主権から解き放たれたプルーラルな自由の追求への一歩。
それって「自由」なの?
★★★☆☆
これまで、多くの「知の巨人」たちが頭を悩ませてきた「自由」。その「思想史」という意味では大変まとめられていると思った。
しかし、本書の内容が、今現実に起こっている、「自由」をめぐるさまざまな葛藤・摩擦を解決する上での処方箋になるとは思えないし、そのヒントにすらならないと思う。「そんなのオレの自由だ」が決まり言葉になっている昨今の風潮や、「市場の自由」を錦の御旗に掲げる市場原理主義者に、「それは「自由」の本来の定義ではありません」という「説得」が、どれほど意味を持つだろう。「それは本当の「自由」ではない」という制限を付けること自体が、すでに「非・自由」「不・自由」なのだ、という反論に、どうやって答えるのだろう。
著者は哲学者ではなく法学畑の研究者なのだから、もうちょっと、理屈ではない何かを示してほしかった。