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公共哲学とは何か (ちくま新書)

価格: ¥798
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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門外漢の感想だが・・・ ★☆☆☆☆
 門外漢の私にとっては非常に理解困難な書物だった。一体誰を対象に書かれているのだろうか。この書物には本当に「公共性」があるのだろうか・・・・
 私がこの書を手にしたのは次のような理由による。
 誰かが殺人を犯したとする。今後「こんなやつは早く死刑にしてしまえ」といった主張はしだいに影をひそめていくように思える。裁判員制度が犯罪の背景や原因を否が応でも私たちに考えさせてくれるからである。アキバ事件に同情した人も少なくなかったが、こういった問題は単に個人の問題ではなく社会的問題として考えなくてはならなくなると思われる。
 自殺の問題は従来は個人的問題であったが、今やそれでは済まされない。周りの人たちは何をしていたのか。社会は何をしていたのか、教育者は何をしていたのか。地域社会は・・・が問われるのである。
 残念ながら、本書『公共哲学とは何か』からはそういった社会的(日常的)問題意識を読みとることはできなかった。「活私開公」「グローカル」「現実主義的理想主義」「学問の構造改革」等々、マニフェストの項目だけが踊っている。「学問の理念」が「ああでもない、こうでもない」といった具合に思想史をふりかえりながら説明されているが、門外漢の読者にとってははっきり言ってどうでもいいことだ。
 逆に聞きたい。「公共哲学」でない哲学や思想なんて過去に存在したのか。
いずれにしても私が感じたのは、公共哲学は、「倫理学」ではなくあくまで「哲学」だということだ。ここに著者のあまりに思弁的臭いを嗅いでしまうのは私だけだろうか?
他の類書と共に読むべき書 ★★★★☆
この新書は約4年前に出たようだが、今までアマゾンに10以上出たレビューを見ると、ヨイショ臭い5つ星から、難癖臭い1つ星に至るまで、評価が分かれている。評者が思うに、この本は、いろいろな大学で科目が設けられ始めた公共哲学という学問を、「著者なりのスタンス」からわかりやすく啓蒙・展開したものと考えるのが妥当だろう。だからこの本と一緒に、桂木隆夫の『公共哲学とは何だろう』や斎藤純一の『公共性』を読んで、公共哲学にも色々な立場があることを知ったほうがよい。また、公共哲学の多様性や論争状況を理解する上で、東大出版会から出ている全20巻の『公共哲学』シリーズも参考になるだろう。そして、この新書の学問横断論に不満を感じる読者は、最近同じ著者が出した学術書『グローカル公共哲学』を、また思想史的な叙述に不満な読者は、同じ著者の『ヨーロッパ社会思想史』を別個に読むべきだろう。いずれにせよ、この書には一つのフロンティア的な位置づけが与えられて然るべきという意味で、星4つを与えたい。
現代の我々の責務 ★★★☆☆
人間は生まれながらにして、偶然によって支配される存在だ。
人間は、自分の身体、生まれ育つ家庭や民族、国家などの社会環境を選べず、
どのような時代に生まれるかは、まったく偶然にかかっているからだ。

しかし、同時に、人間は世界を変える力を持っている。
人間は、自分の身体を種々の訓練によってコントロールでき、
自己の環境を改善、変革でき、自己の歴史を方向付けることができるからだ。

また、他者へ働きかけることにより、他者の環境、他者とのマクロな歴史も方向付
けることができる。
この点に、運命に甘んじない人間の自由な創造力と、多種多様な他者への理解力の
存在が証明される。

そして我々は、自己と他者との応答をとおして、人間存在を豊かにして行くべきなのだ。

先人たちの、累々たる営みと努力の延長線上に、現代を生きる我々の世界がある。
現代を生きる我々は、過去の先人たち、そして将来の人類のためにも、地球上の様々な
環境問題や人権問題などをよりよき方向へ改善していく努力をしなければない。
それが我々の責務なのだ。
一つの意見として ★★☆☆☆
ディシプリンレベルでの横断的学問としての公共哲学を目指す試みは買いたいのだが、新しく定義された言葉の使いまわしによる抽象論に終始し、具体的な説明が少ない。その具体的説明と見られるものは、事実が確定していない、非常に敏感な太平洋戦争やイラク戦争周りの事柄ばかりであり、やはり説得力に欠ける上に、著者の歴史認識、政治的見識の押し付けのように思える。

逆に、横断的学問の難しさを実感するには良い本かもしれない。
公共哲学へ向けてのフレームワーク ★★★★☆
 最近は郵便局民営化にはじまり、公営のものが民営化される傾向が相次いでいる。
 国鉄JR民営化→電電公社NTT民営化→その流れの中での郵便局民営化がある。
 しかし、これは当然だが、米国企業・私企業連合の世界支配構想に合致している。郵貯資金を流動化でき、世界・私企業を潤すからだ。
 しかし別の本で読んだが、そんな流れで、さらに水道が民営化されている国もあるようだ。
 そんなことされて、水道料金が石油のように値がつりあがっていったら恐ろしいことと思う。(高速道路も一向に無料にならないし・・・。)また、飛躍はするが、もし空気にも公的に課税がかれられた場合どうなるだろうかと想像する。たぶん始めは公的な空気課税であっても、それを追って公営の課税対象から外れて・・・空気の民営化?それはそれは空恐ろしい世界になる。
 国民一人一人が公共の哲学(水のような、みんなのものという感覚を当然のようにしてもっていない)と、その私有化の可能性は捨てきれないとは思う。(高速道路は金払うのが当たり前と思っている人がいないだろうか。あれは公共のものなんだが。)
 民営とはプラバタイゼーション(特権をもつものが私物化すること)を意味するのだから、市場原理にゆだねて、「サービスが向上する。」という側面しか見ない今風情は浅はかというほかないと思う。だが、公共のものがどんどん私物化されてゆく、「もう知らないよ」とは言っていられないのだ。
 そんな気持ちで、本書を手にしたが、印象としては公共哲学はまだまだ底浅いという感は否めない。
 しかし、公共の概念自体は歴史が古く、それを整理すれば、公共への思想があらわになってくるというやり方はわかる。
 本書は入門書としてかなり整理されたもので、そうした古典的公共哲学の知の遺産及び日本の近現代史の公共概念に焦点をあて、公共世界の社会・政治・経済・科学・教育・宗教の公共哲学へ向けてのフレームワークを提示する書物である。
 公共哲学が認知されれば、社会・政治・経済・科学・教育・宗教は、日本でもかなり様相を変えてゆくものとなるように思う。
 (レビュワーとしては北欧社会のように米国の強い要請を受けても響かない体質とは何か知りたかったところでもあるが、とくに本書には北欧のことは触れていなかった。あくまでフレームワークの提示のようだ。北欧の社会構築主義はまた別物なのか???、ポスト構造との関係は???という疑問を抱えつつ読むと、この思想はフレームワークを決めてしまったことで硬直しているような印象もあるのだが。)