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天皇と東大 大日本帝国の生と死 下

価格: ¥2,800
カテゴリ: 単行本
ブランド: 文藝春秋
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東大の情けなさは今でも同じだろう ★★★☆☆
大部の本である。しかし、引用資料が多いので、重要なところだけ原文で読んでほかは飛ばせば割と早い。
似非知識人集団としての東大のひ弱さを露呈しているが、戦後はそれをさらに引き継いで、60年安保もそうだが、丸山真男を含めて、なぜひどいかがよく分かった。
そもそも日本の学者に哲学や大局観がないことが、結局は戦争に収斂されていった。もちろん、数人のしっかりした学者もいたが、多勢に無勢。
ひょっとすると、唯一しっかりしていたのは昭和天皇だけだったのかもしれない。もちろん、現人神として祀り上げる天皇主義はカスだが、機関説は決して間違ってはいない。その意味では大久保たち岩倉使節団派の天皇活用は正しかったようだ。
「きけわだつみ」の捏造が述べられ、なるほどと思った。吉本隆明も、戦争時代は決して暗くなかった、みんな進んで戦争に向かったという事実を述べているが、戦後の、戦前はすべて間違いだとしか見なさない史観の偏りと、それによって日本をだめにした歴史感覚のことを言い当てている。
不明点は、時の総長平賀譲はなぜ天皇主義者の土方成美をカットしたのか、本書では解明されていない。しかし、この点が日本人の体質の肝になるはずだ。
あとは、章タイトルを読めば中身が分かってしまうので、興味のあるところだけでいいような気がする。そのあたりが冗漫といえる。もちろん、力作には違いないのだが。
確かに面白い!力作。だが・・・ ★★★★☆
上巻も含め、この本の面白さは他のレビューで語り尽くされている。私も総体において異論はない。よって、敢えて、不満な点を述べておきたい。それは、下巻において、矢内原や河合といった経済学部内の抗争が詳細に描かれ、そこから、平賀粛学における田中耕太郎法学部教授の位置づけに繋がるのだが、その時期、法学部内のおける右派(推測するに、刑法の小野清一郎など)の力関係にも今一歩踏み込んで書いて欲しかった。本書では高い評価を受けている憲法の宮沢俊義でさえ、戦時中には「時局迎合的な論文」を書いているし、民法の我妻栄のナチ傾倒も隠された過去であろう。小野清一郎は戦後追放されたが、その弟子の団藤重光や、宮沢・我妻は戦後の東大法学部の花形教授として生き残った。彼らが昭和十年代にどのような動きをしていたのかをもっと詳細に知りたい。それとも、それは法学界のタブーだろうか?
アカデミックとミリタリーそして天皇 ★★★★★
下巻は5.15事件から終戦までを扱っていて、いかに日本が不幸な歴史を刻んだかが分かります。まさに天皇の名を借りた軍部の暴走といえるのでしょうか?もちろん天皇の責任はあると思います。
未だ戦争責任や靖国問題で揺れる国である事は終戦処理が曖昧に終わってしまった事に起因するのでしょう。
東京大学と言う官吏養成所のエリート達が本当に国益のために動いたのか?なぜもう少し早く終戦工作が出来なかったのか。
天皇制(国体明徴)が良かったのか悪かったのか。
まだまだおいらの様な人間には不勉強すぎて理解が出来ずにおります。でも結局、政治も戦争も人が作り出す(脳が作り出す)と言う事は認識しました。立花さんの7年を掛けたまさに資料収集と知的好奇心の集大成だと思います。
本書に収まらなかった情報は文藝春秋のウエッブサイトに納められていて今でも読むことが出来ます。
正直、題名が気になる。 ★★★★☆
 題名を見て、「天皇と東大」の関係をどう捉えるのか興味を持ったが、天皇個人というより天皇制に対する東大内外の情勢を分析した歴史ドキュメントであり、東大だけの問題ではないと思う。
 例えば、京都大学の滝川博士の問題も当然考慮されるべき問題であって、東大出身の著者の「無理な設定」という感想である。
 それを別にして捉えれば、戦前の右翼思想と戦後の進歩的文化人による思想の極端な変化を「どのようにして天皇制を考えるのか」という視点での学者達の思想の変遷がわかって面白い。
 個人的には、「東大」に限定しないで、もっと幅広く論じてほしかったと思う。

 
立花氏にしてはちょっと・・・ ★★★☆☆
厚さに圧倒されてはいけません。
内容は,文献のコラージュですから。
教授グループ事件に関しては,脇村義太郎『回想九十年−師・友・書』を落とすことはできないし,終戦前後の高木八尺については『アメリカ精神を求めて−高木八尺の生涯』に収録された座談等を引用すべきだと思うが。
竹内洋『丸山眞男の時代』の方がコストパフォーマンスが高い,というのが正直な読後感。