私は、サディストになりたい。
★★★★★
サドの手になる作品をはじめて読んだ。これほど優れた作品が、あまり話題にもならないのが、私には残念に思われる。
三島由紀夫は「サド侯爵夫人」のなかで、サドの家の家紋は、双頭の鷲であって、一方の頭は美徳を、一方の頭は悪徳を志向している、と書いている。その説が私の心をとらえた。この家紋が、この本の表紙に小さく配されており、気になって読んだ。
太宰治は「人間失格」のなかで、対義語遊びを登場させている。この遊びの効果として、ある語の意味と反対の語を想定することで、ある語の意味をとらえることができる、ということが挙げられる。サドは食人国(悪徳の国)をまず登場させることで、円く閉じられた国(平和・平等・公平があまねく行き渡った美徳の国)への強烈な切望を表現した。
誰かが言った。現世は地獄よりも地獄的である、と。作中、主人公は異端糾問所の牢獄に投獄されるが、そこで主人公が、ここでの待遇は食人国でのそれよりもひどい、と嘆く場面がある。異端糾問所は、神のみ名において、何の罪もない、いわゆる〈異端者〉を、自分たちの私利私欲のために、苦しめ、虐げる。なんという偽善、なんという悪徳が、そこで行われていたことか。罰せられるべきは、異端糾問所、お前たちじゃないか、お前らの横暴を黙認、看過している政府、国じゃないか、憤激が私をとらえた。
離れ離れになった恋人同士が、劇場で再会する、という筋立てが何とも心にくい。というのも、美徳の国では、国民に演劇を披露することで、罪を犯した人を告発する、という手段を用いているからだ。罪を犯せば、世間から糾弾される、それを演劇によって国が国民に訴えかける。それだけで自分の犯した罪を恥じ、罪人は劇場を飛び出していく。このような国が、現実に誕生したならば! サドの祈りは、本作の結末部において、象徴的に表現されているのだ。
サドの中ではちょっと異色
★★★★★
と書かれている明るい部分も含め
「サド」というイメージからではなく入って欲しい本です。
私はこれをいわゆる思春期の頃読みましたが
(一応女なので男より弱いとひたすら書かれている部分には
???となったりしましたが)
ものの考え方や見方を知るのには良い本だと思います。
サド哲理の・・美学(;'Д`)ハァハァ
★★★★☆
(;'Д`)ハァハァ 物語そのものは拙劣。
梗概は3つの国を旅する男の物語。
どの国もまあ、サドが書くものだからおよそ現実に乖離している。
しかし3番目の国を読み終えた後にみる1番目と2番目の国の
悪辣な国是が曰く言いがたい好ましさをもたらす究極のサド哲理。
必見!!