正面から議論すべき問題ではありませんか?
★★★★★
出版後数年を経過していますが、大山誠一さんの一連の著作に対するレビュ−に些か疑問がありますのでご参考になればと思い以下書きます。
先ず、日本書紀が正しいことを書いていると思わないことがスタートです。ここが最初の関門でしょう。時の為政者が正しいことを書いているのだろうか?自分たちの都合の良いことばかり書いてはいないだろうか?と疑うことが大事だと、昔坂口安吾が指摘していましたね。さすがに坂口安吾はするどいと思います。
例えば、冷静に日本書紀を読むと、聖徳太子のところは何か違うと思いませんか?突如として、憲法17条が出てきますが、その後には何の痕跡(17条に関連した律令という意味です)もありません。しかも一門は全ていなくなっています。その後、出来すぎというかやり過ぎというか、様々な聖徳太子に関する書物が出て、太子を美化しています。何か変だ?と思わないと歴史は究明できないのではと思いますが、如何でしょう。
大山誠一さんは、学者として、聖徳太子がいない根拠を挙げています。そして、反対ならその反証を示すように言っています。小説家が勝手なことを言っているのではありません。実績のある学者が根拠を挙げて聖徳太子はいないと言っているのですから、反対する学者はその根拠を崩すべきではないでしょうか?是非生産的な議論をして欲しいと思います。