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「聖徳太子」の誕生 (歴史文化ライブラリー)

価格: ¥1,785
カテゴリ: 単行本
ブランド: 吉川弘文館
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存在がなかったことの明らかな重さ ★★★★☆
聖徳太子は〈実在しなかった〉事が、
〈実在する資料〉によって、まさしく、 
グイグイと、証明され、グイグイと
読み進めていくことができる。

聖徳太子は、藤原不比等と、長屋王の
政争の間に産み落とされた、儒教、仏教、
そして、道教までも修めた怪物であった。

歴史は勝者の記録なのだ。

ところで、我々が習った実在の聖徳太子は
どう教えられているのか。

今は、厩戸王が主で聖徳太子は従なんだってさ。
歴史はより確からしい方向へ変遷し続けることが肝要 ★★★☆☆
 この本の著者は、聖徳太子は存在しなかったという表現をしているが、正確に言うと、通説となっているような、類まれな才能に基づき偉大な業績を残した皇太子としての聖徳太子はいなかったということを述べている。実に大胆な仮説であることは多くの人が認めるのではないでしょうか。
 著者は、客観的な史実というものを追及していく作業があってこそ歴史学が成立するという、極めてまっとうな認識をもたれているように思えるが、私には著者のこのような認識に基づいたこの仮説の妥当性を評価する力はない。しかし、このような常識を覆す革新的な仮説に対しては、賛否両論が根拠に基づいて戦わされること自体が肝要なのだと思います。それが、多くの人を納得させる説となる条件でしょう。今後の進展が楽しみです。
大胆な仮説。大きな問題提起ではあるが・・・ ★★★★☆
大胆な仮説である。但し、太子関係の史料に多くの疑問点があるのは事実でこのような論が登場するのはそれほど意外なことではないだろう。ただし、説得力は完全でない。この論に関しては専門家のいろいろな反応が出ているはず。私は歴史の門外漢だから、直木孝次郎氏の論文を書店で斜め読みしただけだが、氏も具体的問題点を例示して同様の事を書いていらっしゃった。で、全くの素人の小生が持つ疑問点を幾つか挙げてみよう。<1>著者は法隆寺系史料を全部「捏造」とする。私もそれらの成立が8世紀のものだと言う点はほぼ納得。しかし、670年の火災による再建に関する論述には不満を覚える。すなわち、再建に当たって焼け残った文書や特に関係者の記憶に基づいて銘文が記された可能性を考える。再建にはできるだけ元来の姿を復元するのが原則である。ただし、「天皇」といった新しい用語が混じってしまう、そう考えるのが自然。従って、銘文の記述年代だけから、全部を「捏造」とするのには飛躍があるまいか。<2>記紀に記録のない600年の遣隋使後、607年に「大礼」小野妹子の遣隋までに大和の政治改革が行われた事は否定できまい。こうした太子に帰せられている推古朝の政治改革の実行者が厩戸王=太子でないなら、それを明示しなければならないだろう。<3>日本書紀及び古事記が創造した(著者の言う「捏造」。ただし、それは記紀以前のものも当然あるが)人格・人物・事跡は太子だけではない。これは記紀の成立事情も絡んで大変な問題であるが、書紀の他の創造記事との比較検証を行い、書紀の文脈の中で「太子」を論じないといけないのではあるまいか。太子だけ「完全な捏造」、はやはり不自然である。疑問点は他にもあるが愚見で、できるだけ違う方向から3つ挙げてみた。問題提起としては非常に貴重であるがこれらの疑問が解けず、本書末尾の記述が「歴史小説風」に感じられてしまうのが実感である。
「常識」に立ち向かう姿勢に共感 ★★★★★
著者は聖徳太子が実は架空の人物であるという、今までの常識を覆す説を理路整然と説いている。実際のところ真実はどうなのかはわからないが、今までの慣習、常識にとらわれずに史実を検証しつつ理論を組み立てていくという姿勢にたいへん感銘を受けた。歴史学会は著者の主張する説に対してきちんと対応していくべきだし、荒唐無稽な説だといって無視することは許されないことだと思う。
空気のように当たり前だと思われていた聖徳太子の存在に対して、勇気をもって異説を唱えた著者はまさにあっぱれである。