最後の止めを刺された東大坂本史学
★★★☆☆
つい、ちょっと前まで日本人にとって一番ポピュラーな日本人は「聖徳太子」だったが、近年は、すっかり凋落の気味で、その座を「卑弥呼」さんに奪われてしまった。
何せ「千円札」、「5千円札」、「1万円札」、みんな太子の肖像が描かれていたし、旧最高裁判所大法廷にも十七条憲法の創始者として例の肖像画が掲げてあったのに、あの肖像画が実は「太子のものでない」とされたあたりからか、急速に人気が衰えてしまうことになった。
本書の著者「大山誠一」氏によると、つまるところ、「太子信仰」こそ、最後の一線で「皇統」断絶を食止め、現代まで連綿と継続させたキーポイント。また、「架空の理想的帝王像」として飛鳥朝末期・奈良朝初期の時代に、『日本書紀』編纂者によって「聖徳太子」が造形され祭上げられたとの見方も、若干ディテールの部分は措くが、妥当な見解といえよう。
これでは、TVドラマ制作者なんか、どうも「太子」にご登場願うのを躊躇してしまうことになり、人気ガタ落ちとなるのも頷ける流れ。
ただ、『日本書紀』に記された皇統譜の人名や物語を、他の資料に現れた人名や現存する考古遺跡(伝ナニナニ天皇陵古墳)と重合せようとする試みは棄てるしかないのも考察の内に入れたほうが好い。
蒲生君平の叡福寺墓所探訪記事が残っているので、伝えられる業績は眉唾でも、太子なる人間の存在そのものは否定できないと思っていたが、これすらも怪しいとなると、もう何一つ残ってないことになる。
とくに継体天皇(ヲホド王)以前の系譜は、古伝承に基づく部分もなくはないまでも、たぶん、事後的に何回かに分けて創作され、遡って次々と上載せされて出来あがったとする見方が唯一の正解であり、現在となっては既に復元不可能とするほかはないのではないかと思う。
聖徳太子虚構説をはじめて読みたい方へ
★★★★☆
厩戸王はいたけれども聖徳太子はいなかった、十七条憲法も聖徳太子が作ったとは言えないという説はここのところ盛り上がっている学説のひとつです。聖徳太子の数々の功績は教科書にまで書かれていて一般的には誰もが実在を疑わないわけですが、実はその話も結構あやうい根拠に基づいていて、深くつっこまれないまま定説化してしまっているのも事実です。
著者の大山誠一さんは先陣を切ってこの虚構説を提唱されている先生なのです。現在の聖徳太子論は、ある意味「大山誠一説をどうとらえるか」ということに対してああだこうだといろんな人がもの申しているのが現状で、肯定派と否定派にぱっくりとわかれてしまっているような状況が続いています。
面白そうだからちょっと読んでみたいなと思われる方もいらしゃると思いますが、実際この聖徳太子の話には数多くの文献の引用と登場人物が出てきて、ある程度の知識がなければ半分以上ちんぷんかんぷんという難しい本が多いのです。そんな中、この本は比較的やさしい文体で書かれていて、初めてトライされる方にもおすすめできます。それでも十分にわかるかといえばそうではないのですが、なぜ聖徳太子がいなかったといえるのか、その根拠や問題点は十分にこの本で知ることができると思います。
また、この本が面白かったら「聖徳太子の真実」と「聖徳太子の実像と幻像」を次におすすめします。
架空の理想的皇帝像
★★★★★
モデルとされた厩戸王は実在したが、聖徳太子は『日本書紀』の中で作られた架空の人物であると言う。「聖徳太子は実在しなかった」という書名にしても不思議のない内容ではあるが、このような穏当なタイトルになっている。その実在を疑うことなく、偉大なる聖徳太子を信仰してきた日本人。日本人は聖徳太子に何を求め、何を投影してきたのか。日本の文化を考察する上でも重要な研究テーマになるはずのものである。
日本史上最大の偉人とされる聖徳太子が実在しなかったと言ったのだから、賛否両論出て来たのは当然であろうし、今後も続くに違いない。ところが、今回文庫版あとがきで著者は「2003年には11人の執筆者により『聖徳太子の真実』(平凡社)を刊行することができた。これにより学問的には聖徳太子をめぐる議論は事実上消滅した」と記しているが、どのように「消滅」したのだろうか。
そこから展開してくるのが天皇制である。権力ではなく、権威。「つねにバランスの上にあり直接大地に接しないこと」これが天皇制の宿命であり、天皇制の原点に著者は「神聖な存在」としての聖徳太子を位置付ける。
巻末近いところの次の一節が注目される。
「聖徳太子はどうだろう。聖徳太子が偉大なのは、実在の人物ではないからである。理念として偉大なのである。生々しいむき出しの権力ではなく、清浄無垢にして神聖な存在。それが、仮に、この世に姿を現した奇蹟。それが聖徳太子なのである。それは、日本人の願望そのものであった」(雅)
えっ、聖徳太子って架空の人物なの?
★★★★★
タイトルからして飛鳥時代の聖徳太子の活躍を描いたものと思って読み始めたら、違う。
歴史は史実が残っていて成立する。だからその史実の信憑性を問題にする。聖徳太子の活躍は「日本書紀」に書かれ、その事蹟は数々の史料に残されているが、「日本書紀」そのものが信頼できない。そして当時、天皇家を神格化するためのスーパーヒーローが求められていた。
一万円札にもなった聖徳太子のフィクション説を、心理的に受け付けられない症候群が日本人にはある。だから著者の考え方に学問的でない反発が多い。
しかし筆者の史料に対する見方、考え方には一理あり、一気に読み進んた。今ではフィクション説に賛同できる。が、やはり受け入れたくないような気もしています。
いずれにしても歴史に対する視点を学ぶには、とてもためになる本でした。