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しずかな日々 (講談社文庫)

価格: ¥520
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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まさにタイトル通り ★★★★★
夏の朝の空気、濃い色をした空、縁側に吹く風、セミの声、友達の笑い声。
もうずっと遠い昔のことなのに、まるで実際に見たように、映像が浮かんできます。
大きな事件もない。大切な人が死んだりするわけでもない。
なのにどうしてか切なくて、読んでいて目頭が熱くなりました。

今はもう大人になった主人公の少年が、子供の頃の夏の記憶を静かに綴ったお話です。
母親と二人暮らしをしていた小学五年生の内気な少年が、引越し先で初めて友人を作り、
そして母親と離れておじいちゃんの家で暮らすようになり、
徐々に少年は、今まで知らなかった世界が開けていくのを目の当たりにします。

何かが変わってくというのは同時に失うことでもあるんだろうなぁと感じさせるのは
母親と少年の関係です。
物語は少年の目線で書かれてますから、はっきりとした描写はありませんが、
大人ならばなんとなくわかってしまうであろう、複雑な背景も物語に影を潜めてます。
だけどそれを含めて、ただしずかに日々は過ぎていきます。

「人生は劇的ではない。ぼくはこれからも、生きていく」
巻末の少年の一言が、すべてを語っています。
コンキチ&ナターシャの絵本ナビ ★★★★★
コンキチ :少年の自立を静的に紡ぎだし、力強くなくても
      たよりない足で社会に向かい立ち上がる主人公が
      本当に素敵でした、自分を見てくれる友人さえいれば
      小さな自分でもしっかりと生きることが出来るんだよ
      と読者に語りかけます。

ナターシャ:特に起伏があるわけではないのに、胸にズンと
      感動が湧き上がります、都会育ちの私達にも
      故郷があるのだと感慨深くこの本を読みました。

コンキチ :いつまでも忘れられない読書になりました。
      中学生くらいの内省的な少年に読んでほしい
      作品だと思いました、胸がキュンときますよ!
描きやすいじいちゃんち。 ★★★★☆
想像しやすいお話でした。
本城直季提供のジャケット写真も、話の中身といい具合に合ってると思います。俯瞰する感覚や遠い昔を思い出すアングルなんかが。

じいちゃんは知人の顔を代用して(笑)、じいちゃんちの庭やらなにやらは母の実家を想像しながら読みました。少年の五年生はこんな感じだったのかと、懐かしいやら新鮮やら。
面白かったのはやっぱり「ぼく」の台詞や情景描写ですね。仏壇の鐘を鳴らす台詞が笑えました。「ぼくもあとで、チンしていいですか」。レンジのチンじゃないんだからさー(笑)みたいな。

タイトルの「しずかな」はべつのものでもよかったかなーと思います。友達のいなかった去年とは違って、人気者と友達になってじいちゃんちで暮らすことになって……という人生の転機にも関わらず「しずかな」ですか。じゅうぶん劇的でないですか。ちびっこにしたらば。
漫画にすればもう少し楽しみの増える小説ではないかなと思います。
ちなみに青桐ナツで。絵柄は淡々としていてもハートフルに描いてくれそう。
ラストの決めの文章につまづく。 ★★★☆☆
けっこういい場面、いい言葉、いい展開がみられるのに、
最後の文章につまづいた。
映画によくある、輝く幼少期を描き、今では皆大人になり…と
少し冷めた調子のナレーションが入る、そんな作品であるのはわかるが、
「人生は劇的ではない」という最後の文章に「?」となった。
そんな自明の理をラストの一文にする必要があるのか。

ラストの章で「人生は劇的ではないとぼくは思う」と独白が入り、
さらに最後の決めの文として「人生は劇的ではない」とくる。
「人生は劇的ではない」とことさら強調する理由は何なのか。
この素敵な作品をしめくくるにふさわしくないばかりか、
これが最終的に言いたいことかと思うと唖然としてしまう。

作品を通じて語られた人生が、劇的でないというのか。充分に劇的だ。
その後、主人公の男は祖父の家を受け継ぎ、淡々と生きている、
それが劇的でなくてなんだろう。
もっと適切な表現があるだろうに。
『しずかな人生』を支持するもっといい表現が。
中年になれば、そっとしずかに思い出せる日々なのかも。 ★★★★☆
私が通った小学校は、教師の子、医者の子、実業家の子などが多く、当然のように元気な両親の
もとで育っていました。
でも、その小学校を出てもう少し広い世界に目を向けると、いろんな家庭があることを知り、あの
小学校の世界のほうこそ異様に思えました。
世の中、いろんな境遇の小学5年生がいて、それで当たり前ですよね。

「お母さん」がどういう人なのか私はわからずじまいでしたが、夫となる人があっけなく亡くなった
ことを、心のどこかでずっと引きずったまま生きてきたのかもしれません。
そう思うと、彼女のよくわからない感情や生活ぶりもありうるような気がしました。

「おじいさん」と「おじいさんの家」の存在には、本当に救われました。