2編とも舞台は木曽。この夏の木曽旅行で見た、針葉樹林の空気の冴えや、浅い土壌に張り付くように根を張った木々。近くで遠くで間断なく続く梢のこすれや川の流れ。そういったものをありありと思い出した。しかし「高野聖」内の山蛭の降る様子を木曽行の前に読んでいたら、足が鈍ったかも。
旧仮名遣いは読み辛いが、読むスピードを抑制されるのが却って良い効果を生む。