ロースクール生必読の良書
★★★★★
法哲学・法思想史の第一人者たる笹倉先生が、法を学ぶ者特にロースクール生向けに、法解釈の手法とその思考方法を多数の有名判例をベースに実践的に解き明かしていく真の良書である。ロースクールでは判例重視の授業が中心に行なわれているが、昨今の最高裁判例至上主義の様相に強い懸念を著者は感じており、判例論理の検証の必要性を強く示唆している。この本を一読すれば、条文解釈の基本と判例論理の分析力がしっかり身につくはずである。また、判例の結論の妥当性の有無のみだけではなく、その理由付け、適用条文、解釈手法(類推解釈等)の妥当性に自然と意識が働くようになるだろう。そのため、新司法試験の論文力向上にも大いに役に立つと思われる。ロースクール生必読の良書である。
実質的には「人権派」憲法解釈論
★☆☆☆☆
書名からは、法解釈一般のメカニズムを論理的・学究的に分析・整理する内容を想像
されるかも知れません。序盤にはたしかに参考になる論述もありました。
しかし、本書の多くの部分は、上記のような衣をまといつつ、実質的には「かわい
そうな個人の人権を守るのは良い判決、悪どい国や大企業を勝たせるのは悪い判決」
というような筆者の具体的な憲法解釈論等を展開しているだけのように感じられました。
たとえば、「法をめぐる複合思考と単純思考」という項があり、要するに、「物事は
多様な要素から出来ているのでそれらの多様性に即応する」複合思考をポジティブに、
「形式的な三段論法だけで処理する」単純思考をネガティブに評価しています。
これだけ聞くとまともそうに思えますが、その後の具体論への当てはめ方が明らかに
偏っており、上記の区分がほとんど意味を持たなくなっています。
たとえば、大東水害事件判決は、その結論の是非はともかく、河川が本来自然発生的な
ものであること等の多様な事情を踏まえて特別な判断基準を定立した判決ですが、本書は
これも「単純思考」であると断じます。
その理由をみると、「国の事情については細かく配慮しているが、他方の住民のことを
忘れてしまった」「国側の擁護に没頭した」ということですが、最高裁が住民の利益を
全く考慮しなかったとなぜ断定できるのか、納得のいく説明が全くありません。
(さすがに、「この件で住民を負かせたということは要するに住民の利益を考えていない
ということだ」などとは言わないでしょう。判決文の大部分が河川管理の特殊性の説示に
充てられていることを念頭に置くのかも知れませんが、「住民の生命や財産は重要で
ある」というような当然のことを長々と書いていないからといって、それを「忘れて
しまった」などと断ずるのは、いくらなんでも短絡的でしょう)
さらに本書は、「犠牲者援護の法制が未整備の現状では、『過失があるかないか』の
発想によるのではなく、むしろ『過失認定は第一義的には被害者の救済のための手段
である』という思考から出発して『国家等の過失』の認定基準をゆるめ、被害の程度に
応じて補償額を調整していくという柔軟な思考が欠かせない」などと、具体的な解釈
論を提示するに至っています。筆者が「複合思考」として認めるのは、実際にはこの
ような「特定の方向性をもった」解釈論に限定されるようです。冒頭の「実質的には
筆者の具体的な憲法解釈論等を展開しているだけ」という意味がおわかり頂けると
思います。
最後の方では「最高裁と政治」という題で、最高裁の「リベラル派」が減っていった
歴史を詳論しています。「だから上記のような『単純思考』のけしからん解釈が出る
ようになった」という趣旨なのでしょう。
筆者が上記のような具体的な法解釈論を主張すること自体は一向に構わないと思います
が、「法解釈講義」という題の本に書かれてもなぁ・・というのが偽らざる感想です。