後半は看板に偽りなく文字通り「猥談」である。が、どこか底が浅い気がする。面白いのは、上野が社会学者の視点から統計的・理論的に話を持っていこうとすると、赤松は「そりゃ人によります」てな具合に一般論をやんわりと退ける場面が相当にあって、そのうち上野もつられて自らの性体験を語り始めるたりする。この対談は本来「抱腹絶倒」になるはずのものだがそれが今ひとつだ。上野氏が現代の性風俗についての見解を赤松に求めて、赤松がそれを戦前・戦中の自分の経験に照らし合わせて論評するというような構成のほうがもっと良かったと思う。大月は何のためにいるのかよくわからない。