反市場の階級的民俗学
★★★★★
柳田民俗学の非階級性を鋭く指弾する赤松ワールド。一般的に赤松は民俗学における「性」の問題に着目したことで評価されるわけだが、あくまでもマルクス主義的視点から民俗学にアプローチしたところに、その価値がある。といっても、どうかんがえてもボル、というよりは、アナっぽいんだけど。
「競争原理」を否定し、「共同経済」をつくりあげていくことが、オルタナティブ。非近代資本主義的な贈与や「交換」関係を、民俗のなかに見出していくことがこの人のライフワークだったのだ。この本はその成果が凝縮されている、民俗学のみならず社会科学を志す人なら、必読すべき本だろう。フィールドワークとは何かとか、示唆に満ちている。
そのなかでも僕が興味深かったのが「子供組」のところ。赤松はこう書く。「戦前でも村の子供が溺死することは珍しくない、それでも親が損害賠償を訴えることなんてない。今では大人が徹底的に管理しないと安心できない。昔の村には子供を管理する機構はなく、子供は子供で遊んでいたから、責任追及はありえない。そこで河童が沈めたとかいう話が登場する。」財政的に教育管理ができないことが、子供のことは子供にまかせておけばよいという発想が生まれてくると赤松は指摘する。現在の監視社会を財と技術という側面から捉えるうえで、示唆である。