はじめに排除ありき
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小学生の頃、当時地元では珍しかった浮浪者の寝床に、友人たちに連れて行かれたことがあった。陸橋の階段の下に布団が敷いてあるだけで本人はいなかったが、そのような場所で寝泊りしている人間がいることに衝撃を受けた。さらにショックだったのは、友人たちが寝床をメチャメチャにし、置いてあったコップを割るなどの破壊行為に興じている姿であった。しかも今にして思えば、それを最も熱心に行なっていたのは、クラスでイジメられていた友人であったと記憶している。
本書を読んでなつかしさとともに、ずっと抱えていたわだかまりが多少なりとも融解してゆくのを感じた。イジメ、ホームレス、特殊学級、新興宗教などといった今でも見られる社会現象を、排除というキーワードによって分析した1980年代の労作である。
とりわけ第1章のイジメ問題に関する考察は秀逸である。1980年代以降のイジメはそれ以前のイジメとは明らかに異なると赤坂は分析し、その原因の一つとして子どもたちが学校以外の生活圏を失っていることを挙げている。出口なき空間での終わりなきイジメの過酷さを、これほど鋭く抉った論述は稀有ではないだろうか。差異を排除すべく教育する学校において、子どもたちは強引に差異をつくり犠牲者を選び出す。子どもの世界のイジメを大人の世界の犯罪のカテゴリーにねじ込もうとするマスコミは、根本的な誤解をしているように思う。
また第2章の浮浪者殺しの分析は、ホームレスが急増している現代にこそ読むに値する。「ホームレスを差別するな」という言葉がいかに空しいかは、わが子にホームレスになってほしいと願う親など一人もいないという事実からして明白であろう。社会がホームレスを作ったのであり、その社会がホームレスを差別するなと言うのは本末転倒である。
対象への否定的感情が排除を生み出すのではなく、排除への欲求が生け贄を強引に作り出す。取り上げられている具体例の古さは否めないが、置き換えられる事例は現在いくらでもあるし、著者の鋭い考察は全く古びることはない。豊富な語彙を駆使した個性的な文体は小説のように美しく、かたくなりがちな論文を芸術作品の域にまで高めている。