引かれている例はいずれも説得力があり、「なんだ、そうだったのか」と思わせるのだが、そう思いながらも、ちょっと待てよ、という気になる。
そんなにみんな豊かだったのなら、明治に入ってからや戦後の農地改革など必要なかったはずだが、なぜ行われたのだろう。
そんなに身分の上下関係が緩やかだったのなら、なぜ今でも被差別部落が残っているのだろう。
と、次々に疑問がわいてくる。
今までの歴史論が、最初から結論を用意し、その結論に都合のいいところだけ取り上げたものだったものだったとは思う。しかし、だからといって、それらがすべて誤っていたということはないだろう。
いい面も悪い面もあったはずなのだ。
たとえば、p182に「一気は暴動ではなく合目的的な手段であった」という見出しがあり、一揆の実例が挙げられている。読めば、百姓側に理があることはわかる。しかし、その一揆では、訴状の作成者ということでとらえられた人物が斬罪となっている。
自分たちの権利を主張した結果、要求は通ったとしても人一人の命を犠牲にしなくてはならなかったのだから、やはり、いい時代ではない。
もちろん、著者は、江戸時代が理想社会だったなどとは言っていないし、今まで言われていたほどひどくはなかったと言っているだけではあるのだが。
著者は主に佐渡島の例を挙げている。いずれも事実であり、この本に書いてあるとおりだったのだろう。
しかし、だからといってそれを江戸時代全体、徳川幕府の権威が及んだ地域全体に当てはめるのは無理がある。
もちろん、佐渡島の歴史、実態を調査し述べたものとしては優れている。
このような通説は、歴史学者の多くが、幕府が強い支配権を持ち、農民達は被支配者としての服従を強いられていたという、固定観念を前提にして導かれた分析であって、実体とは異なるというのが、本書の主張である。
事実は、寧ろ、江戸時代の社会を形作っていたのは、百姓たちの民意であり、幕府の政策はその追認、後追いでしかなかった、そもそも幕府には農民支配のための「政策」といったものがあったかどうかでさえ疑わしいという。
著者はこの説を、幕府天領であった佐渡の記録から、例えば、幕府は、百姓の要望を追認する形で年貢の制度を決めていたこと、あるいは、様々な布令も、せいぜい「こうあるべき」という規範を訓示したものに過ぎず、その証拠にこれらの布告は容易に破られていたし、破っても罰されたものはほとんどないということを、丹念に例証している。
百姓一揆も、従来、圧制に苦しむ農民が止むに止まれず蜂起したものと、階級闘争的な捉え方をされてきたが、記録からは、農民達の社会的義憤、あるいは農民と幕府という対等な契約者同志の紛争であるという見方をしているが、中々面白い。
歴史解釈の異説のようであって、どうも、こちらの方が真説ではないかと思わせる説得性と具体性がある。