忘れられた教養人の実像
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1902年に生まれ、東京大学史料編纂所等に勤務し、1987年に亡くなった著名な茶道史研究者が、1968年に刊行した本を文庫化したもの。古田織部正重然(初名は左介、景安)(1544〜1615)は美濃出身と見られ、織田信長の使番として活躍した戦国武将である。彼は父から茶を習い、後に千利休の高弟となって珠光流茶道を伝承した。しかし利休が豊臣秀吉によって切腹させられた後、彼は秀吉の御伽衆となり、町人茶を武家風に改革する作業に従事し、まもなく茶の湯の名人と見られるようになった(この間に隠居)。この頃から彼は徳川家康と親しくなり、江戸時代初期には二代将軍秀忠に茶の湯を指南するまでに至り、多くの有力大名を弟子として、高い権勢を誇った。しかし、彼は茶の世界の秩序を重んじて、徳川と豊臣の政治的対立が顕在化しても、両陣営の人々との交際をやめることが無かった。彼は大坂夏の陣の際には徳川方についたが、彼の家臣木村宗喜による京への放火の陰謀が発覚したため、豊臣滅亡の直後、内通容疑で父子共に切腹となり、領地は改易となった。彼が草庵の茶室内部をより明るくし、立ったままで手水を使わせるために手水鉢を背高に据え、異様な力強さを形の上で表現する織部沓形茶碗を好むなどの、新しい作意を凝らしたことは、師の利休が目立たない調和のとれた素朴で静的な美を好んだことと、好対照をなしている。そのため、彼は非業の最期のこともあり、利休門下の異端児とも見なされてきたが、著者は彼を利休の正統な継承者と見なし、その意義を高く評価する。本書は著者自身による史料収集の成果に基づき、非常に実証的に一人の「忘れられたみごとな教養人」の実像を提示した本であり、ややべたぼめしすぎている感はあるが、茶道や伝統に関心のある人には一読をお勧めしたい本である。