ジョン・L・キャスティの見事な描写力は、読者がゲストたちと共に食事を味わい、彼らの交す冗談やときに白熱する議論を堪能することを可能にしている。短気で傲慢なヴィトゲンシュタインはしばしば、このテーマに対するフラストレーションを爆発させるように、人工知能の概念そのものを不可能だとして攻撃する。一方、穏やかだが力強さを内に秘めたチューリングは、世界が自分に追いつくのを待つ予言者の自信を漂わせながら、当時まだ斬新だった理論を説く。ホールデイン、シュレーディンガー、スノウは、それぞれ同テーマに対する自らの深い洞察を披露しつつ、2人の対立をあおる。思考とは何かという問題から脳における言語の役割に至るまで、議論は洗練された、しかし形式ばらないスタイルで展開される。
キャスティはあえて年代的な正確さを無視するが、これによりかえって読者は、ヴィトゲンシュタインとチューリングが共に1951年に他界していなければ、人工知能の理論に多大な貢献をしていたであろうことを、再認識するのである。食事が終わっても、彼らが何らかの結論や意見の一致に到達することはない。おいしい食事と同様に、この本の楽しさは、それを消化することではなく、味わう行為そのものにあるのである。