著者の何清漣も若き女性歴史・経済学者としてこの潮流に加わり、1997年に改革の誤りを大胆に指摘する『中国的陥穽』を著した。この中で彼女は、中国の経済改革は毛沢東の当初のスローガン「化私為公」(個人のものを公のものにする)の革命的逆転すなわち「化公為私」(公のものを個人のものにする)にすぎないと書いた。すなわち「1949年いらい、中国共産党は暴力を用いて有産階級を消滅させ、1978年以降の改革のなかでは、中国共産党の権力掌握者が権力を利用して自分たちや家族を成金階級に変えた」というのである。
この本は学術書にもかかわらず、中国国内でベストセラーとなった。一部の学者は何清漣を「真の愛国主義者」「中国の良心を代表する知識人」と呼び(訳者あとがき)、その後「中国の改革を喜び勇んで賞賛する人はいなくなった」。しかし、腐敗と富の分配の不公平に抗議する天安門広場の学生たちを、人民解放軍の戦車の下敷きにした中国共産党が、このような「潮流」を許すはずがない。2000年以降、この種の「反省」に対する政府の弾圧が厳しくなり、『中国的陥穽』は発禁となる。著者自身も2001年6月、公安当局の監視を逃れるため米国に渡った。
本書は、米国で『中国的陥穽』の英訳版を出版するにあたり、新材料を加えた改訂版(中国語版)からの翻訳である。おりから中国はWTO加盟一周年を迎え、中国各紙は加盟がもたらした好調な経済指標や自動車製造業などへの効果を紹介している。日本でも中国経済の活力に注目する経済専門家が少なくない。しかし、何清漣は本書の中で、汚職と腐敗の横行、貧富の格差の拡大、生態環境の破壊、国有企業の相次ぐ倒産、不良債権と失業者の増大など、中国経済の惨状を余すところなく展示してみせる。すべては、全体主義が市場に介入した結果である。「権力の市場化」を起点とする改革の代価を支払ったのは、総人口の8割以上を占める「社会の底辺層の人民」であり、「改革の成果」を享受したのは少数の権力階層だけだった。精密な統計と科学的な分析に基づくこの総括は、かなり怖い。(伊藤延司)