1943年に長い間オランダと英国の植民地だった土地に生まれ、11歳で英国へ渡り、さらにカナダで市民権を得たこの作家の「Ondaatje」という姓は明らかにオランダ系だ。しかし、血筋をたどれば(『Running in the Family』には「家族のなかに流れている」という意味もある)ヨーロッパ系のみならずスリランカ人の家系も混在していた。植民地生まれの人間がもつハイブリッド性。
本書は証言や帰郷の旅で作家が目にするものと、自分自身の記憶の間を自在に往来しながら紡ぎだされた不思議な物語だ。話はまず、破談になった婚約、日曜ごとの競馬、放蕩息子の父親が泥酔の果てにくり返す奇行、イサドラ・ダンカン風のダンスを踊る母親、熱帯で繰り広げられるダンスパーティーといった、両親世代の、とにかく破天荒な青春群像の描写から始まる。熱気と湿気とくらくらするような幻視の世界だ。
各部の扉には当時のモノクロ写真が配置され、作家の近親者や知人たちのプロフィールが次々と現れては消えていく。事実から書き起こしながらも「うまくついた嘘は千の真実に匹敵する」というスリランカのことわざを引用しながら、いつしか読者を不可思議な物語世界へ連れ去る、この作家の筆の運びは見事というしかない。(森 望)