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脳内現象 (NHKブックス)

価格: ¥1,019
カテゴリ: 単行本
ブランド: NHK出版
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科学しようとする姿勢が重要 ★★★★☆
茂木さんは、「意識」の存在を大前提とした「科学」に対して、それでよいのか、もっと「科学的」アプローチが必要なのではないか、と、疑問を提示している。

ただ、形而上であろうが形而下であろうが、いずれも「初めに意識ありき」である。その意味では「意識」に対する「科学的」アプローチはあり得ないのかも知れない。
(「意識」に対してどうアプローチすればいいか、答えはないのだろうか?)

茂木さんも、あまり本を書いたりマスコミに出たりしていると、研究の時間がなくなるのでは…、とちょっと心配だが、きっと、本書の執筆から5年後の今だと、実験データに基づいて、「科学的に」ご自分なりの考えがさらに明確になってきているのではないかと思う。本書の続編の登場を渇望している。

いずれにせよ、2004年までの茂木ワールドがまとめられているという意味では、(私のような)入門者は是非読むべき本であろう。
メタ認知についての一冊 ★★★☆☆
「全ては脳内現象なのだ」なんて言っていて、現代人はともかく、胡蝶の夢を見た昔の人が読んだら深くうなずかされる一冊だろう。若干煮詰まっている感じもする。しかし、新しい段階に突入してる気もする。

「誤認識問題」というのがある。太郎君がお菓子を箱の中に入れて部屋を出る。お母さんが箱の中のお菓子をたんすの上に隠してしまう。しばらくして、太郎君が部屋に帰ってくる。という映像を見せて、で。太郎君はどうする?っていう質問を被験者にしてみる。ぼくらは、箱の中を見る、ってきちんと答えられるのだけど、4歳以下のこどもは、太郎君の立場にたって考えることが出来ずに、たんすの上を見る、と答える。

この例から分かるのは、4歳くらいまでは、他人と自己っていう感覚が未分化でそれが次第に分節されていくようになるということらしい。確かにそうなのかも。茂木が言うには:

<おそらくは、「心の内容」を処理する領域と、それを誰に「帰属」させるかを処理する領域は異なっており、それらの組み合わせで「誰が」「どのような心的状態にあるのか」という認識が成り立つのだろう。>

ということである。このロジックで、ある心の認知内容を、「わたし」が感じていると処理するようなメタ認知的回路が人間には備わっているのではないかと茂木さんは推理する。

とすると、茂木さんはぜんぜんこんなこと言っていないんだけど、主語なんてはっきりしないのが当たり前で、あんまり主語を言わない日本語って結構脳みそに優しい原語なのかもしれないし、すごく楽しかったり悲しかったりするとき、主語が何なのかよく分からなくなるのも普通のことなのかもしれない。
茂木思想入門 ★★★★☆
脳と仮想を読んで茂木健一郎に興味を持った。
脳と創造性、脳と仮想に比べて、文学的な引用がすくないぶんだけ、思索の遊びには乏しい。
しかし、彼のクオリア理論の言葉、背景がわかりやすく提示されている。この本の理論体系をもとに他書を読み直すと茂木理論の理解が深まる。
批判もあるだろうが心脳問題を、わかりやすく、かつ幅広く説く、筆力と知識はすばらしい。
今後の構成的研究に期待 ★★★★★
本書は「脳内のホムンクルス=意識」をシステム論的に構成しようとする壮大な知的冒険です。

著者は従来クオリアを

「感覚性クオリア」
「志向性クオリア」

の二つに分類してきましたが、より難しい問題(ハードプロブレム)と自認する「志向性クオリア」を追求した結果、「メタ認知」というシステム論的概念に到達したと思われます。したがって本書は、同著者他書の単なる「水増し」ではなく、著者の新しい研究の方向を提示したものといえましょう。

「システムがシステム自身を認知、制御する」

これが「脳内ホムンクルス=意識」の本質であるという主張は、デカルトの「われ思うゆえにわれあり」の科学的解釈ととることもでき、哲学的にも含蓄があります。

ただ現時点ではまだ「発想」の域を出ていません。今後の構成的研究に期待します。
脳科学とは ★★★★☆
 脳研究の歴史をご存知だろうか。脳内に電極を突っ込んだペンフィールド、統合失調症患者の脳生検を行ったわが臺弘、と、電気生理学的・生化学的な研究が長い間盛んだった。もちろん、心理学で使用されているような各種テストのような機能検査も用いられてきた。最近では脳磁図やPET(positron emission CT)などの新しい脳機能検査が使用可能になってきているというものの、そういった手法では、最近続々と明らかにされてきている「感情の主座」くらいを同定するのが現在の限界であり、いったい意識とはどのように成立するのか、クオリアはどうして感じられるかといった問題に対する回答は得られないのだ。本書が述べていることは、結局意識の問題については、現在従来用いられてきた「科学的でかつ再現性のある」各種検査では把握不能だ、ということに尽きる。意識の座がある特定部位に限定されないことは、「じゃあどこを切除すれば意識は消失するの?」という問いに厳密に解答することが不可能なことでわかるし、そもそも脳死判定の話からもわかる通り、「意識がない」とは「意識があるかないか判定不可能」ということであって、「意識が消滅している」ことと同義ではないからである。