Sympathy、Antipathyで読むということ
★★★★★
共感というものは、小説を読み始めるにあたっての足がかりとして、第一等の強力な効果を持っています。反感というのも逆の方向に強い力を及ぼすもので、共感の状態から一気に反転すると、まさに「手のひらを返す」というかたちになります。
しかし、共感にも反感にも、実はそれ以上の力はありません。取っ掛かりにしか関わらないこの二つの感情だけでは、裁量できない(そして、してはいけない)ことのほうが圧倒的に多い、ということです。
さて、江國作品の読者にはこういう共感至上主義者がしばしば見受けられます。大方、読書家(という印象をつくることに余念がない)の女性、という印象を受けます。見よかし聞けよかしのそれを感性とでも言いたいのか、錯覚や妄想の類を展開するのです。これでは傍目にはどうしても、脳みそを垂れ流しているようにしか映りません。
この「みずみずしい」感性でもって消化できないものを、共感至上主義者は嘔吐します。そしてなぜか、便器に向かってやれば迷惑にならないことを人前でやるのです。のみならず吐瀉物を他人に押しつけて、自分と同様にリバースさせる…、これだけひどい喩えを使うこともないのですが、好き嫌いがあるとしてもこれでは「変態的」と表現するしかありません。
残念ながら、小説の書き手はそんな要素を特別視してはいません。むしろ、読み手のそういう未発展の(これから発展していくべき)感情にも煩わされないことを目指している節だって、あるかもしれません。
そういう試みを前面に出してきた作品(「ウエハースの椅子」「思いわずらうことなく愉しく生きよ」「赤い長靴」のあたりからのことを言っています)から、僕は、「おっ、よく来たね」という感覚を持ち始めたのです。あちらからの来客を歓んでやること、「小説を読む」ということにこれ以上のことができるものでしょうか。
「がらくた」だって、そういう読み手としての愉しみを真正面から与えてくれる作品のひとつであることは、確かだと思うのです。
読まなければ良かった
★☆☆☆☆
たぶん自分が未婚だったら、あるいは悟りでも開いていれば、とても引き込まれる面白いストーリーとして読み流せたかも知れません。
私はそのどちらでもないので・・・原夫妻がある意味で羨ましくもあり、同時に究極の虚しさを感じました。
こんなに後味の悪い、居たたまれない気持ちになったのは未熟者だからでしょうか・・・
とにかく、今、心底読まなければ良かったと後悔した作品でした。
安定した狂気・不安定な日常
★★★★☆
そんな恋愛小説
いつもの江國さんらしい文体で
清潔感・透明感はあるのだけれど…
温かいものを求めているときには
お薦めできない1冊です
安定した狂気・不安定な日常
★★★★☆
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清潔感・透明感はあるのだけれど…
温かいものを求めているときには
お薦めできない1冊です
癖のある一冊。
★★★★☆
江國作品は今まで好んで読んできて、文章のほんわかした綺麗さに魅力を感じます。 今回は江國さんの最新作ということで読みましたが、いつも通りすらすらと読めて2日で読み終えました。
この作品はなんというか、一言で表すと“綺麗じゃない綺麗さ”を感じました。わたしは柊子に共感を覚えました。不倫否定派だけど、こんなに愛し合ってるからこそできるのかな、という当事者にしかわからない、読者さえわからないような夫婦愛なのかと。美海の大人びた、背伸びした生活も自分と似ていてすごく共感できました。 ただ最後の展開にはすこしがっかりしました。純愛小説を読みたい方にはおすすめはできないかと… でも全体的に、読者の感性に解釈を任された綺麗なはなしだと思いました。