冷静に読める
★★★★☆
文献資料に基づき丁寧に記述されている.妙に具体的で生々しいが真偽のほどが定かではない記述に辟易させられることはない.これが本書をおすすめする一番の理由.
というわけで,戦時中の活動の記述は少なく,大半は戦後に焦点が当てられている.この問題の現実的政治的な背景を客観的に知るには格好の入門書になると思う.もちろん石井四郎を「マッド・サイエンティスト」と記すことからもわかるように,淡々と事実だけ記されているわけではない.一部著者の想像もあるが説得力に欠けるようなものではない.最後に次ぎの文に当たったのはむしろ意外だった.「あれだけ大風呂敷を広げ,はったりを効かせ参謀本部を煙にまいた石井が,手術を受けた後には声を失って死期を迎えたのはいかにも皮肉だった.」
このテーマに初めて接する読者への配慮がみられるが,それでも最初に読む本としては,どの資料からの引用なのか(そもそも引用なのか),あるいは全体の流れがわかりにくいところもあるかもしれないが,長年積み上げられてきた「事実」に慣れた読者なら簡単に読み進められるだろう.そして肝心の,散々語られてきた資料に加えて提示される新事実としての2冊の大学ノートや,著者自身の足により得られた関係者談は,それ自身貴重な追加資料とはなっているのだが,これまでに公開されている事実に比較して,得られた新事実は驚愕というほどではない.のだが,エピソードとしては興味深い.ただもう少し深く解読して練り上げてほしかった.
読み物としてもプロローグからエピローグまでうまくまとめ上げられている.ただそういう見方をするなら石井四郎なり登場人物の人となりをもう少し生き生きと人間として浮かび上がらせてほしかった気もする.ほら吹きだろうが悪人だろうが官僚組織の中で(一時的にでも)成功するために必要な資質というものは現代にも通じるものがある.要するに,はったりとか大風呂敷なわけだが.
もう1点.悪魔的科学者の悪魔的な部分を十分に描き切れていない.偏見をおそれず罵倒しろというのではない.研究者以外が「研究」のモチベーションを理解するのは難しいが,それは説明すれば不可能ではない.その上で悪は人体実験にではなく,非倫理的なところにあるということをはっきり示してほしかった.科学者倫理の問題は過去の問題ではない.
総じて,なにより偏見が目立つ他の関連書籍に比べて高い評価を与えてよいと思う.
戦後の石井の軌跡が分かる本です。
★★★★★
本書は偶然見つかった石井のノートをもとに丹念に取材を重ね、
今まで謎の部分が多かった石井四郎の戦後の軌跡を
具体的に知ることができて大変面白かった。
あれだけ強烈なプライドとカリスマ性を持った怪物のような男が戦後、
若松町で潜伏し経済的にも逼迫した生活を送り、最期はカソリックの洗礼まで受けるようになる
変化がどのようなものだったのか、ずっと気になっていたので、
本書はその疑問をほぼ解いてくれたといっても過言ではない。
石井以外にも内藤良一や北野政次、柄澤十三夫などが
どのような人物だったのかについても、
周囲の証言などから具体的にイメージできるようになっている。
また、隊員間の激しい確執で毒を盛ったりする可能性もあったり、
人生について語ってくれるような人間味のあった人が人体実験を繰り返すうちに人が変わってしまったり、
隊員であっても感染して治る見込みがないとマルタと同じく生体解剖されたり、
培養や実験・解剖などの感染リスクの高い汚れ仕事は全部下っ端の医師などがやらされ幹部はその成果だけを判断するといった今にも通じる不条理な構造があったり、等
「悪魔の飽食」やその類書には無かった細部についてもいろいろ書かれており、
731部隊の悪辣さに改めて戦慄を覚えた。
丹念に資料にあたり、証言を収集した到達点
★★★★★
本書は、余り触れられない石井の故郷の加茂と、石井の居宅へ足を運び、アメリカ軍による
石井その他細菌戦部隊の尋問調書、旧陸軍内部資料と、新証拠の石井直筆と思われるメモ
をつき合わせて書き上げた作品であり、石井部隊の成立の淵源から石井部隊の隊員の戦後
について著わしたものである。どのレベルで本件の計画が行われ、実施されたのか、緻密に
記されている。一定の地位にあるものは、相当の違法性阻却もしくは責任阻却事由のない限り
自己の配下でおきたことの責任を負うが、細菌戦について、明治憲法下において軍の統帥権を
有する昭和天皇が責任を負うとともに、阻却事由は存在しないことが本書によりわかる。
本書の叙述には、証拠に基礎付けられないものを事実として扱っているところがあるが、すぐ
判別できるものであり、またノンフィクション作品の中には同様な記述がなされることも多く、
非難すべきではない。
もとより石井を含むいわゆる細菌部隊を1冊で書き上げることは無理である。しかし価値のない
細菌部隊関係の本が多い中、本書の圧巻はソ連参戦近くから始まる石井のアメリカとソ連との微妙な
関係の中、石井が何とか生き延びようと腐心するその駆け引きにある。非常に面白く読めたし、
著者による行間を埋める作業・推量無しには成り立たない。当然資料の信憑性や、推量に疑問
の余地はあるが、私は難点かを除き、著者の推量は正しく他に解しようがないと思う。なお、
この本は、実験の証言などは一切ないので、そういうあたりを期待すると、肩透かしを食う。
731取材記
★★☆☆☆
本書は、ノンフィクションとして成立していない。
著者が、事実と推量を分けて書くことをしていないからだ。
これは、技術的な問題ではなく、著者の姿勢の問題だと思う。
さらに、構成が決定的に弱い。
石井の人物像、七三一部隊の行為、歴史の裏舞台といったことのどれにも焦点が合っていない。
つまり、著者の取材メモをそのまま見せられたようなもので、冗長な記述が続くだけだ。
本書は、「七三一」初心者(私のこと)には向かない本であり、ノンフィクション好き(これも私のこと)には絶対向かない本だ。
資料を丁寧に追ったノンフィクション
★★★★★
2005年に発刊されたノンフィクションを文庫本で読む。
旧日本軍の731部隊については、高校の頃森村誠一の「悪魔の飽食」、10年位前に常石敬一の「731部隊...」などを読んだ記憶があるが、前者が告発+著者の思い込み、後者が事実の発掘+啓発的な趣であったと記憶しており、本作のスタンスに読む前から興味がそそられた。
本作は、公的な資料は勿論、いまや数少ない生存している関係者、石井四郎の日記などから、部隊の成立〜終焉、そして誰も何の責任も取らずに闇から闇に葬られた結末までを丹念に追う力作であった。こういうノンフィクションはフリーでなければ書けませんね。
しかし、米国の情報公開にはあらためて感心です。本来日本側にあって然るべきものまで米国で発見されたりすることって多くないですか。もうこうなると、日米関係絡みのものは、日本側で隠しても無意味な気がします。
最後に、ノンフィクション(特に時代物)を読んでいつも思うのは、巻末に年表などを添付してくれるともっとわかり易いのに、ということです。