ここでは「社会契約論」について
★★★★★
全編は、4部構成。第1編と2編は、原理論であり、社会契約、土地所有権、主権と一般意志などについて、検討。第3編は、政治形態の具体的なありようの検討、4編は国家の維持のための手法、役職などについて検討される。ルソーの逸話や肖像画の風貌を通して、大天才ならではの明快なセンスのある論を期待するだろうが、読んでみると、なんとも、肝心な部分部分で、歯切れの悪い不明瞭さが付きまとい、単なるレトリックの問題ではないことが分かる。丁度、デカルトの著作が明晰だ、というおかしな風評(これまた肝心なところになると収まりが悪いのが実態)と同じだ。逆に言えば、かなり悪戦苦闘していると思われ、1編2編の原理論で、どことなく不明瞭な感じのする理念や概念の設定(一般意志など)が、3編4編の現実的な分析になると、関係諸概念との境界線が現実上定めにくくなるはめに陥り、予想通りにその弱点を露呈する。新奇な概念、革命的な発想とは斯くも惨憺たるデビューをせざるを得ない。だが、絶対王政の最中、気は確かかと言いたくなるような過激極まりない発言の連続は、虚心坦懐に読めば、今でも、その迫真力は抜群で、まさに「革命の書」だ。本来好き勝手に暮らしていたい人間(ルソーはその典型)が、必要悪から、一旦自身の権利を、共同体に譲渡し、各人が生活の安全を確保しようという「社会契約」の観念は、伝統的な社会契約説の末尾を飾る出色だ。共同体の根拠たる法のバックボーンが「一般意志」だとし、自らに制限を与えて、それに従うことに自由と平等の真の姿を本書で示した。ここまで来ると、カント、ヘーゲルとはもう後一歩だ。だが、正義や法の根拠を、超越的な道徳律に根拠を求めたカントより、歴史的・社会的な過程での相互承認を経て法・正義に到ることを唱えるヘーゲルのほうが、ルソーの直系という感じはする。ヘーゲルの「自由」の観念は、まさに本書の伝統を承継している。後世、ルソーを共同体主義、民族主義、ロマン主義として批判する哲学が流行したが、本書を読んでそういう頓珍漢な批判をして飯の種にしている程度の良くないものであることが判明。売名行為ではなく、もっと切実な必要から社会思想とは生まれるもので、ルソーは身の危険を顧みず本書を書いた。なお本書の中に政府の置くべき場所として、「都市」が語られている点はなかなか興味深い。
あなたが悪平等主義を是とするならば…。
★☆☆☆☆
この本が説いているものは、「持たざるものの平等主義」に他ならない。確かヴォルテールだったかと思うが、「あなたの著作物を読んでいると、人間は四足で歩きたくなります」と、実に皮肉った言い方でルソーを批判していたことを思い出す。この本が説く平等は、ルソーの妄想が生み出した幻想に他ならないが、やがてこの考え方がフランス革命の立役者ロベスピエールに引き継がれてギロチン台による大量粛清を生み、最終的にはマルクス主義へと派生していったのは、歴史が示すとおりである。
間違えてはならない。ルソーが示したものは、文明を捨て、野蛮な原始人へと戻る退廃への道に過ぎない。あなたが動物状態の、いまだ文明なるものを獲得し得ない「人民」達の楽園を望むのであれば、本書はバイブルとなりえようが、ただし、その先に待ち受けているものは、楽園の仮面をかぶった地獄でしかなことをよく理解しておくべきだ。
狂気の書
★☆☆☆☆
バークが彼を「狂えるソクラテス」とよんだのは有名だが、実際、彼は精神病に犯されていたことは日本ではあまり知られていない。
彼は巧みなレトリックでもって人間の意思を三つにわけるが、最終的には主権者たるはずの人民(国民)は
超越者(独裁者)の決定をただ追認するだけの存在となり、立法の中身を審議することなどない。人民に求められるのはそれが一般的意思にかなっているか否かだけである。
(この段階になると人民は独裁者の意思をただ追認するだけの存在になる。なぜなら拒否すれば待っているのはただひとつの道しかないからだ。)
ルソーが目指す世界、それは全ての自由、全ての富を人民から奪うことにより達成される絶対的にして究極のただし暗黒の「平等」である。
彼のいう自由とは超越者に従う自由である 彼に公も私もないのである。
「自由がないのが自由である。」
これが彼の結論であり彼の夢想する世界を初めて現実としたのが、ロベスピエールでありルソーの忠実な使従であった。よもやルソーとフランス革命の深い関係を否定する者などいないだろう。
ルソーの思想は人間の自由を否定し憲法を破壊する、この世にあってはならない狂気の思想である。もちろん彼の思想がもたらした惨劇はフランスだけにはとどまらなかった・・・・
アメリカ建国の父の一人、A・ハミルトンが、なぜ徹底的に反人権、反主権を唱え、議会の専制を防止するため策を巡らしたか、ルソーを僅かでも評価しようなどという者は考えるべきである。
冷静に読もう。
★★★★☆
本書で一般意思の無謬性を説いたことをもって、ルソーこそ全体主義の源流だと評する人もいる。しかし、ルソーは一般意思は公共の利害に関ることにしか及ばないと明言しており、人間の生活領域をパブリックなものとプライベートなものに分割し、国家の介入を前者に限定するというリベラリズムの基本理念は本書でも保たれている。
また、本書で民主政は神々には適しても人間には適さないと説いたことをもって、ルソーにアンチ民主主義のレッテルを貼る人もいる。しかし、ルソーが本書で言う民主政とは直接民主制のことであって、今日で言うところの議会制民主主義は「選挙制貴族政」と分類されているのである。
全体に、叙述がロジックよりもレトリックに流れているのは否定できず、そのことが様々な誤解を生む原因にもなっているのだと思う。書かれていることを冷静に読み取るようにしたい。
なお、本書でルソーは、主権の担い手である団体としての国民を「主権者」と呼び、統治の客体となる個々の国民を「臣民」と呼んで区別したが、この区別は今日でも有用だ。自分は国民である以上主権者で、従って国家に対して無限に要求できると本気で信じている人がこの国には少なからずいるからだ。
翻訳は、岩波版よりこちらの方が読みやすいと思う。
むずかしい?
★★☆☆☆
このような社会契約説を良く思いついたなあと驚きました。フランス人権宣言に合致するような言葉や考えが出てきているので歴史好きの方にはまあまあ面白いのではないでしょうか。