でも、「思い込み」とはなんだろう? ケイトはみんなに「じゃじゃ馬」だと思われていた。自分でもそう思っていたに違いない。だが本当は、ほかの誰よりも女らしい女性だった。--本当だろうか? 劇の冒頭、私たちは彼女を「じゃじゃ馬」だと思い込んでいた訳だが、それなら終幕の理想的な女性となった彼女にだって、そう思い込んでいるだけかもしれない、と疑うことも許されるのではないか? この二つの喜劇に共通している本当のテーマ、それは「私とは誰か」という、もっと根源的な問いかけかもしれない。
私は私だと思っている。私はこれが本当の自分だと思い込んでいる。でも実際の私はぜんぜん別な人間かもしれないし、ただ自分でそう思い込んでいるだけなのかもしれない。私は「じゃじゃ馬」かもしれないし、そうでないかもしれないし、あるいはその両者であるかもしれないし、両者とはまったく無関係かもしれない。ーーひとつだけ明らかなのは、人間は変わる、変わり得る、ということだろう。
アナタハ、本当ニ、アナタデスカ?