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どくろ杯 (中公文庫)

価格: ¥760
カテゴリ: 文庫
ブランド: 中央公論新社
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不朽の一冊 ★★★★★
なんとも瑞々しい日本語である。
著者、最晩年に往時をふりかえって書いたものとのことだが、
なお瑞々しいという印象がする。

高橋源一郎氏が、たしか「マレー蘭印紀行」を評して、
これほど美しい日本語はない、といったことを書いていたと思うが、
「マレー蘭印」にくらべてこの本(を含む三部作)のほうが話にノリがあって、
個人的には好みだ。
濃密な文章がびっしりと綴られているので、
これくらい起伏があったほうが読みやすい。
初心者(?)はこちらから入るのがいいのではないか。

連れ合いの奔放な三千代さんの姿や、
彼女への複雑な愛情も生々しくビビッドに焼き付けられていて、
じつに魅力的にうつる。
読んでいると、漂白の魂が乗り移ってくるようで、
ぐうっと当時の世界に引き込まれていく。

折に触れて読み返したいし、
一生読み返していくであろう本。

※ところで三部作の三冊めの「西ひがし」が品薄のようで、
私は古本で読んだのだが、絶版なのだとしたら、
切らさないように刷ってもらいたいものだ。
くせになる金子光晴、夫人森三千代との馴れ初め ★★★★★
ちょうど私がこの本を読んでいる時に、朝日新聞の「再読 こんな時 こんな本」欄に「どくろ杯」が取り上げられた。「のびやかで美しい日本語」と評されている。
私は金子光晴の大三部作といわれる「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」を逆から読んでしまったようだ。「ねむれ巴里」で夫人の森三千代が金子よりさきに巴里に到着していて、金子との耐乏生活を全く苦にせず、泰然自若としているのを読んで、森三千代とはいったいどんな女性で、いかなる経緯で金子と一緒になったのか非常に興味を持った。その疑問は本書を読むことによって氷解した。彼女は、まだ御茶ノ水の女子高等師範の学生だった頃、金子の詩集を読み、金子に傾倒し、自ら金子のぼろやに押しかけていく。金子によれば、彼女は「私のしかけたかすみ網に、自分から、かかりに来た。」のである。彼女に一目ぼれした金子は「彼女と文学をかたるよりも、彼女をふんづかまえる可能性の方が重大だった。」と書いている。この辺の表現は,読んでいて、あまりに正直な彼の心の吐露に思わず笑ってしまう。
結局、彼女は妊娠し、紆余曲折の末、長崎から上海へ、上海から巴里への長い旅が始まる。彼女が先に巴里で待っていたのは、二人分の旅費を工面できなかった金子が彼女一人を先に巴里にいかせたからだと分かった。
この、長崎、上海、蘇州、香港などの窮乏生活を金子は春本を書いたり絵をかいたりして生活費を工面するが、その間の生活、人物描写は極めて的確で、なるほど、金子光晴は詩人なのだと納得させてくれる。
冒頭の書評のように金子の日本語は極めて的確に人物・情景などを描き出している。一例をあげれば「うんこの太そうな女たち」など、余りにも的確で、他のいかなるひとも使えない表現と思う。
読めば読むほど、はまってしまう金子光晴である。


人間の奥底をさらけ出すような自伝 ★★★★☆
詩人金子光晴が、大正から昭和における自己の結婚、貧困生活、夫人の浮気、その後の上海でのどん底生活までを描いた自伝だ。

本書の特徴であり魅力の一つは著者が自分自身の欲望、無責任・いい加減さ、貧困生活などを赤裸々に語っているところだ。例えば夫人森三千代との結婚に至るまでの経緯も、愛情というよりは欲望に近い中途半端な形で始まり、子供が出来て結婚に至り、その後夫人が年下の男と浮気をしたため、それを引き離すために東京を離れて上海に流れ着く、といった具合に計画性なく惰性に任せて生きている自己を飾ることなく描いている。

もう一つ強い印象を残すのはこの夫婦が辿りついた当時の上海だ。当時の上海は「世界の屑、ながれものの落ちてあつまるところ」であったとのことで、社会の底辺で暮らす中国人肉体労働者の生態や、著者と同様に日本から流れてきて極貧の中でその日暮らしを続ける芸術家達の姿は痛ましいまでに強烈だ。

本書はこの夫婦が2年に及ぶ上海生活を終えてパリに向けて旅立つところで終わり、その後の更に5年に及ぶ放浪生活は続編の「ねむれ巴里」「西ひがし」に描かれているとのことだ。本書を読了した現在の心境は、「毒を食らわば皿まで」ではないが続編も読まずにおれないという気持ちだ。
憂鬱なリアリズム ★★★★★
 あまりにも個性的な日本詩人、金子光晴の彷徨を収めた自伝の第一弾。自身を美化し糊塗する文章は一行もなく、抑揚のない筆致は時代のリアリズムを浮き彫りにしている。にっちもさっちもいかず、時代の憂鬱さ、閉塞ぶりに急かれるように彼は、たいしたあてもなくパリに向かい旅に出る。ここに描かれている日本は、まるでたった今私たちがいる日本のように見える。救われない魂を持つ金子光晴のあがきは、今こそ現代に生きる人間のありうべき最高の誠実さとして輝いている。日本文学の傑作だと思います。必読です。
猛烈さの試験薬 ★★★★★
26歳でやっと読んだ。
いまさらながら、だったが、いま読んでよかったと、思った。

「本物の音楽家・詩人・画家は万に一」
という中国の古い諺があったようにおもう。
アーティストの九分九厘は虚飾や虚勢だということ。
その本分は、はぐれ者であり、見世物であり、
狂言回しであり、世でもっとも苛烈なサービス業でもある。

金子氏が本物か否かは、いまもって分からない。
ただ、ひどく猛烈だということだけは、よく分かった。

数々のエピソードを読むうちに、
こんな人間にはなれない(なりたくない)こともよくわかる。
凡人は平凡に暮らすこと。奇人はほおっておいても奇人になる。
それにしても、あくがれる。

いま読んでよかったと、思った。

20歳になる前に読まなくてよかった、とも、思った。