なんとも怖ろしい窮乏生活
★★★★☆
昭和4年暮から2年間過ごしたパリでの生活記録である。
金も仕事も当てもなく、その日暮らしの窮乏生活は往路の船のなかから既に始まっている。
そして、パリに先行していた夫人の森三千代と合流するが、夫婦でありながら、夫婦でないような奇妙な関係を続けながら、とにかく生きるために「男娼以外はなんでも」やる生活に没入していく。
しかし、このパリには彼以外にも金も当ても無く、流れ着いた多くの日本人が社会のどん底に生活しており、中には食い詰めた挙句、死んでいく人たちも何人かいる。
この作品を読んで、芸術作品だとか、文学作品だとか言う気は起こらない。
ただただ、昭和初期の日本人は、今から考えれば地の果てみたいなパリで、底辺を這いずり回って生きている人たちが沢山いたということが、分かっただけでも一つの収穫である。
当時の巴里日本人の底辺の生活記録としか言いようが無い。
不良国際人金子光晴
★★★★☆
不良詩人金子光晴が、35歳頃、パリで過ごした2年間の記録。
冒頭、船でパリに向かっている中に衝撃的なシーンがある。
<僕の寝ている下の藁布団のベッドで譚嬢は、しずかにねむっていた。船に馴れて、船酔いに苦しんでいるものはなかった。僕は、からだをかがみこむようにして、彼女の寝顔をしばらく眺めていたが、腹の割れ目から手を入れて、彼女のからだをさわった。じっとりからだが汗ばんでいた。腹のほうから、背のほうをさぐってゆくと、小高くふくれあがった肛門らしいものをさぐりあてた。その手を引きぬいて、指を鼻にかざすと、日本人とすこしも変わらない、強い糞臭がした。同糞同臭だとおもうと、「お手々つなげば、世界は一つ」というフランスの詩王ポール・フォールの小唄の一説がおもいだされて、可笑しかった。>
時代は、二大戦間期の、中国で反日運動が盛り上がっていた頃である。この時期に、中国人の女の肛門をまさぐって、こんなことをつぶやいている詩人の胆力にあきれ驚かされる。われわれは普段、「世界が一つ」でない理由を臆病に並べ立てがちであるが、糞臭なんていうしょうもないことからでも世界は一つであることは感じることができるのかもしれない。