例えば、物語に登場する倉木まり恵さん(肉体に障害を抱えた長男と精神に障害をもつ次男、二人の息子を同時に自殺によって失った女性)のような、本当につらい体験をした人がこの本を読んだとしても、励まされることはないでしょう。そして、この物語で語られるのは、そのような本当に個人的な深い悲しみのことなのです。
この小説を読んで励まされたと感じた人は、倉木まり恵さんが自分よりもはるかに悲惨な目に遭っているからこそ励まされたのです。なぜなら、倉木まり恵さんを哀れだと思ったからです。倉木まり恵さんを哀れみ、懸命に生きようとする彼女を見て(読み取って)同情し、自分も頑張らねばならないと思ったのです。
あまり内容は書けませんが、たんなるメキシコの情景描写なのです。それを主人公がビデオを通して観ているという設定です。
大江さんも文学論などでよく言及されていたロシア・フォルマリズムの理論に「異化」という概念がありますが、まさにそれだと思いました。
「異化」とはごくごく大雑把に説明させていただければ、日常生活において「自動化」してしまった習慣的な行為や感覚を、芸術の力によって、具体的なものそのものを感じさせ、明視させることにより、生き生きとした実感に回復させるというものだと思います。
にわか雨によって微妙に変わる大気、傾斜のある斜面でひたすら穴を掘る男の隆起した背中、雲の動きによってさっと差し込む太陽の光……、文章が音楽のように流れていて、<もの>をこんなにも注意深く見ていいんだあという開放感に包まれてしまいました。日常で何度も味わったはずのごく普通の経験が、いかに美しく驚きに満ちたものであったのかを再認識したように思いました。
◎「あとがきにかえて」は文庫版のみの収録でした。お間違いのないようにお願い致します。失礼しました。