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人生の親戚 (新潮文庫)

価格: ¥460
カテゴリ: 文庫
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悲しみの意味とイメージと・・・ ★★★★★
巧みに書かれたストーリーテリングの作家のフィクションの世界に身を委ねることによる心地よさ(悲惨な運命をたどる主人公に感情移入するなど)といったありきたりの文学作品を読むことの醍醐味などこの作品には微塵もなく、逆に読みすすめていくうちにどんどん息苦しくなっていきました。その息苦しさは、悲惨な状況にあるまり恵さんに感情移入したからではなく、”悲しみ”というものが今まで自分がイメージしていたものとは違っていることに気付かされたからかもしれません。難解さとは違った次元で読むのにかなりのエネルギーを要する作品です。
励まされはしない ★★★★★
この小説は、読んで励まされた、とか救われた、などと思えるような小説ではありません。この小説は読む人を励ますために書かれたものではないからです。人生において、本当の「耐え難い悲しみ」に直面した人は、この小説を読んでも励まされはしないでしょうから。そのことをまさに、著者はこの物語で伝えようとしているのです。

例えば、物語に登場する倉木まり恵さん(肉体に障害を抱えた長男と精神に障害をもつ次男、二人の息子を同時に自殺によって失った女性)のような、本当につらい体験をした人がこの本を読んだとしても、励まされることはないでしょう。そして、この物語で語られるのは、そのような本当に個人的な深い悲しみのことなのです。

この小説を読んで励まされたと感じた人は、倉木まり恵さんが自分よりもはるかに悲惨な目に遭っているからこそ励まされたのです。なぜなら、倉木まり恵さんを哀れだと思ったからです。倉木まり恵さんを哀れみ、懸命に生きようとする彼女を見て(読み取って)同情し、自分も頑張らねばならないと思ったのです。

救いはここに ★★★★★
大江文学は難しい。しかしその難解さには、意味があると思う。推理小説などの娯楽小説を読み続けることはたやすいが、自分の心に残るものは少ない。一方で、大江文学は推理小説のように読み進まない。苦しみもがきながら読み続けなければならない。でも・・・・・・大江文学を読み終わったあと、苦しい思いをして格闘した後、確実に救われたような気分になっている自分に気づくのである。大江の難解な文章はわれわれ読み手への大江からの問いかけがあるように思う。「苦しめ・・・そして歓喜にいたれと・・・・」
人生の親戚は子どもを失った母親がその後、どう生きていくのか・・・どう悲しみを引き受け乗り越えていくのか・・・・・このことがメインテーマになっている。読了後やはり救われた気分になっている自分を発見できた。大江の文学の原点「文学とは人を励ますものでなければならない」を十分に堪能できる小説であろう。


異化について ★★★★☆
物語自体にもとても惹きこまれましたが、私の場合は、「あとがきにかえて」(そのままではないかもしれません)で不覚にも泣いてしまったのを憶えています。

あまり内容は書けませんが、たんなるメキシコの情景描写なのです。それを主人公がビデオを通して観ているという設定です。

大江さんも文学論などでよく言及されていたロシア・フォルマリズムの理論に「異化」という概念がありますが、まさにそれだと思いました。

「異化」とはごくごく大雑把に説明させていただければ、日常生活において「自動化」してしまった習慣的な行為や感覚を、芸術の力によって、具体的なものそのものを感じさせ、明視させることにより、生き生きとした実感に回復させるというものだと思います。

にわか雨によって微妙に変わる大気、傾斜のある斜面でひたすら穴を掘る男の隆起した背中、雲の動きによってさっと差し込む太陽の光……、文章が音楽のように流れていて、<もの>をこんなにも注意深く見ていいんだあという開放感に包まれてしまいました。日常で何度も味わったはずのごく普通の経験が、いかに美しく驚きに満ちたものであったのかを再認識したように思いました。

◎「あとがきにかえて」は文庫版のみの収録でした。お間違いのないようにお願い致します。失礼しました。

悲しみ-あまりありがたくない「人生の親戚」-と共に生きる ★★★★☆
主人公である倉木まり恵は、精神障害児ムーサン・交通事故による肉体的な障害を抱えた道夫くん、という二人の息子を同時に自殺で失ってしまいます。「絶対的な不幸からどのように立ち直ってゆくか」をテーマに、生の励ましに満ちた長編です。著者に限りなく近い「僕」が、バルザック「村の司祭」の主人公ヴェロニックの生き方と、まり恵さんの生涯とを照らしあわせながら、テンポのよい語り口でいっきに読ませてくれました。生きるための勇気を与えられる一方で、「家族のきずな」とはなにか、という問題も考えさせられる小説です。