対談のときの気分が将来に対して楽観論の大野氏に対する悲観論の森本氏やや中立の鈴木氏とアンサンブルがとれている。対談のほかに3人それぞれ自説を短く紹介する文章を載せているが、大野氏の日本語の起源に関する文章を読むだけでもこの本を読む価値はある
この三人を見ると、一見しただけでも「保守派の人間たち」である事は事実です。
特に鈴木孝夫氏に至っては、「大東亜戦争」と言う言葉を肯定的な意味で平気で使っていらっしゃり、これでは岩波書店から追放されてしまいかねないではないか?と危惧の念を抱きました。
しかし、そのような極端な意見を除いて、現在の医療、福祉、経済や文化の世界等で、使っている当事者でもその本当の意味が分からないような外来語が「丸呑み」の形で輸入されている現状に対して、このような現象が日本人の論理的思考法をますます弱まらせる結果になっている、と批判していらっしゃる点は、説得力がある話であると考えます。
そして、戦後に「常用漢字表」の制定で、日本人の漢字に関する関心が薄れてしまい、個々の漢字が持っている細かい意味の差異を理解できなくなってしまい、これが日本語に関する内省的理解を妨げる結果となったと主張なさっています。
そして、その根拠として、大野氏の議論のように、日本語は最初から純粋にあったものではなく、古代のタミール語等の外国語等から色々な概念を借りてきたものであり、論理的な思考法は漢文の力を借りて初めて可能となったのだと主張しているのです。
更に三浦朱門氏や宮台真司氏などの進める「ゆとり教育」が、却って子供から教育の機会を奪うものであって、日本の教育を荒廃さ!せるだけの「百害あって一利なし」の議論であると三者は揃って強いことばで批判なさっていらっしゃいます。
極端な意見があることはともあれ、この本の大筋を見てみると、日本の言語教育を考える上で、貴重な意見である事は否定できません。