その中においても、本書は独特の成立過程を持っている。スウェーデン政府のプロジェクトとして研究者に執筆を依頼、完成した本は家庭に直接届けられた。歴史の暗部に目を向け、子どもたちとの対話をうながす意図によるという。そのため、きわめて平易な叙述でホロコーストの全貌が描き出されており、まったくの初心者でも問題なく読み進むことができる。くわえて写真・図版も豊富で、詳細な年表まで収録されている。ホロコーストの基礎知識を得るには最上の1冊だろう。
それでいて、踏み込みは驚くほど深い。ヒトラーやゲーリングのような指導者層の動きも押えてはいるが、視点はあくまで民衆ひとりひとりに据えられている。理不尽な差別に怒るユダヤ人女医、ゲットーで死にゆく子どもたちをみとる看護婦、収容所での虐待を克明に回想する生存者、そうした声が丹念に拾い上げられているうえに、ロマや同性愛者、障害者など、やはりナチスに迫害された人々への目配りも欠いていない。ホロコーストが単なる歴史上の挿話ではなく、実際に流された血の集まりなのだということが痛いほど伝わってくる。
また、特筆すべきなのは、日本版用にホロコーストと日本に関する1章が加えられていることだろう。ユダヤ人を救うためビザを発給した杉原千畝の行為は有名だが、日本政府の対ユダヤ人政策、神戸のユダヤ人社会などの記述も興味深い。
今後、日本人の親子がホロコーストについて議論を交わしあえるかどうかはまだわからない。だが、少なくとも材料はここにある。目をつぶってはならないことが確かに存在するのだ。(大滝浩太郎)