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近衛文麿 (岩波新書)

価格: ¥929
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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貴族政治家・近衛の悲劇 ★★★★★
岩波新書には好著が少なくないが、本書は中でも屈指の名著と思う。(同じ著者による「国際政治史」(岩波全書)もいい。)先ず文章がいい。一級の歴史家は優れた文章家でもある。

貴族政治家・近衛の政治的生涯を、木戸幸一日記・細川日記・「西園寺公と政局」など豊富な史料を駆使して明快に綴っていく。淡々とした歴史記述だが、読み進むうちに近衛という政治家の致命的な欠陥が露わになり目を覆いたくなる。問題アリの板垣や松岡を任命してはすぐイヤ気がさす、東条を指名しては自分の意図どうりに動かぬことが判明すると、「いやになっちまう」「もうロボット稼業はホトホト嫌になりましたよ」と側近に漏らしつつ三度とも内閣を投げ出してしまう。結果、日中戦争は泥沼化し、三国軍事同盟・日米開戦も阻止できず、日本は惨憺たる終戦を迎えることになる。

思えばあの時代、強大な軍部の鼻ずらを引きずりまわすには、並大抵の腕力ではかなわなかったにもかかわらず、近衛には有力なブレーンも政治組織もなく、あるのは思いつきと移り気、家柄からくるプライドそれに得体の知れぬ大衆的人気だけだった。要するに政治家としての胆力、腕力、リーダーシップがないにもかかわらず、世間は彼に「柄にもない役」を期待し演じさせたのだった。かくして、かつて世上の人気を一身に集めた近衛は、一転世の憎悪、罵倒を浴び、占領軍から戦争責任を問われる身となる。

近衛の死に、昭和天皇は一言「近衛は弱いね」と述べた。この冷淡さは、近衛が天皇の忌み嫌う皇道派・観念右翼と気脈を通じており、戦争末期の京都・陽明文庫における天皇退位の密議などから、近衛が自分を危うくする存在であるとの認識を持っていたためであるが、72年著述の本書には、当然これら近年にわかに明らかとなってきた天皇をめぐる史料からの情報はカバーされていない。天皇は近衛をどう見ていたのかは、興味深いテーマだが他書に当たるしかない。

戦前・戦中史の理解のためには至高の1冊 ★★★★★
まず、私が読んだのは1972年6月24日発行の初版第1刷である事をお伝えします。
当書は戦前・戦中の激動期に首相を3期務めた近衛の生涯を描き、当時の政治史を膨大な資料から明らかにしている。

最大の読ませどころは首相となってから盧溝橋事件をはじめ、拡大する戦局をのりきるために
近衛なりに苦悩する流れを語るところである。
今から考えれば「なんてバカな事をしていたんだ」と思われるような戦中史について当時の政治家たちがその時々どう考え、どうしてそのような決断をしていったのか、具体的な発言や面会者の手記から明らかにしている。

近衛は若くして首相となった後、各方面の勢力の言いなりになり自嘲気味に自分を「ロボット」と卑下する。さらに「政治新体制」に向けてイニシアチブを発揮するもトップの自覚に欠け、大政翼賛会の発足にあたっては「綱領も宣言も無し」と意味不明の挨拶をする場面は日本の総理として悲しささえ感じさせる。
その後近衛は陸軍大臣(東条英機)の中国進駐・南部仏印進駐政策を切り捨てる事が出来ない。
そして最後は米国との和平交渉に尽力するも東条を翻意させる事が出来ずに最悪の事態に陥ってしまう。

当書は淡々と歴史の叙述に徹し、当時の政治システムの問題点や政治責任などには全く触れない。どう考えるかは読み手に任されている。
昭和の戦前・戦中史の理解のためには至高の1冊である。
「ハムレット型人間」のエリート貴族政治家の引き起こした罪と悲劇についての詳細な分析 ★★★★★
 公家の最高ランクである五摂家筆頭の近衛家に生を享け、対米戦争前に三度組閣するものの、軍部の暴走を止められず、結局は日米開戦への道をつけてしまい、それが原因で、終戦後GHQよりA級戦犯に指定され、自殺に追い込まれた悲劇の政治家の評伝です。

 本書は、彼の人格形成過程についてまず触れています。

 幼少期に父親を失い、手のひらを返したように借金の返済を迫る借金取りと対峙していく過程で、人間不信に陥ったこと。そして学生時代に法律や政治よりも哲学にはまっていた事等の事実を指摘して典型的な「ハムレット型」人間としての彼の人格が形成されていったものだと考えられます。更にヴェルサイユ講和会議に陪席中に「英米中心の外交路線を排す」と言う題名の論文を発表するなど、優れた洞察力を持つ面も描き出しています。

 そしてこのような彼に対して元老西園寺公望は危惧の念を抱いていたものの、2・26事件までに軍部によって気骨のある人間が抹殺されていた為に、軍部のこれ以上の暴走を押さえる為のリリーフとして、血統カリスマとしても、容姿の点でも、知性の面でも、国民的人気の点でも優れている彼を推さざるを得なくなってしまった事が、彼を含んだ国民を不幸のどん底に陥れてしまう結果になったのである、と言う経緯についても触れています。

 そして、ついに対米戦争が開戦した事に対し、唯一結果が敗北に終わる事に気づいていた彼が出来るだけ早期にダメージを食い止める為に、昭和天皇に上奏するも、昭和天皇にも見捨てられ、終戦当初は好意的だったGHQも、彼の対中戦争責任問題で掌をひっくり返すような対応をしたために、自殺に追い込まれていく過程が細かく描かれています。

 この本を読んで感じた事ですが、なるほど彼は、「ハムレット型」人間の欠点を丸ごとさらけ出すように、優柔不断で軍部の暴走を押し留められずに対米戦争への端緒を作ってしまった事は、彼に重大な戦争責任があることが否定できない理由です。しかし、彼自身がなまじ五摂家筆頭の当主になる事がなく、それ故に政界に引っ張り出され「御神輿」に乗せられる事がなかったら、彼の為にも、国民の為にも決して悲劇に巻き込まれる事はなかったろうにと思い、彼に対して単に「極悪非道」との烙印を押すことにはためらってしまうのは私だけなのでしょうか?
 ましてや、近衛文麿を単細胞人物である小泉純一郎や石原慎太郎などと一緒くたにして論ずるのでは、議論が粗雑であると考えるのは私だけなのでしょうか?