本書は、彼の人格形成過程についてまず触れています。
幼少期に父親を失い、手のひらを返したように借金の返済を迫る借金取りと対峙していく過程で、人間不信に陥ったこと。そして学生時代に法律や政治よりも哲学にはまっていた事等の事実を指摘して典型的な「ハムレット型」人間としての彼の人格が形成されていったものだと考えられます。更にヴェルサイユ講和会議に陪席中に「英米中心の外交路線を排す」と言う題名の論文を発表するなど、優れた洞察力を持つ面も描き出しています。
そしてこのような彼に対して元老西園寺公望は危惧の念を抱いていたものの、2・26事件までに軍部によって気骨のある人間が抹殺されていた為に、軍部のこれ以上の暴走を押さえる為のリリーフとして、血統カリスマとしても、容姿の点でも、知性の面でも、国民的人気の点でも優れている彼を推さざるを得なくなってしまった事が、彼を含んだ国民を不幸のどん底に陥れてしまう結果になったのである、と言う経緯についても触れています。
そして、ついに対米戦争が開戦した事に対し、唯一結果が敗北に終わる事に気づいていた彼が出来るだけ早期にダメージを食い止める為に、昭和天皇に上奏するも、昭和天皇にも見捨てられ、終戦当初は好意的だったGHQも、彼の対中戦争責任問題で掌をひっくり返すような対応をしたために、自殺に追い込まれていく過程が細かく描かれています。
この本を読んで感じた事ですが、なるほど彼は、「ハムレット型」人間の欠点を丸ごとさらけ出すように、優柔不断で軍部の暴走を押し留められずに対米戦争への端緒を作ってしまった事は、彼に重大な戦争責任があることが否定できない理由です。しかし、彼自身がなまじ五摂家筆頭の当主になる事がなく、それ故に政界に引っ張り出され「御神輿」に乗せられる事がなかったら、彼の為にも、国民の為にも決して悲劇に巻き込まれる事はなかったろうにと思い、彼に対して単に「極悪非道」との烙印を押すことにはためらってしまうのは私だけなのでしょうか?
ましてや、近衛文麿を単細胞人物である小泉純一郎や石原慎太郎などと一緒くたにして論ずるのでは、議論が粗雑であると考えるのは私だけなのでしょうか?